先月観たNHK大河ドラマ「徳川家康」(1983年放映)が面白かったので、引き続き、「功名が辻」(2006年放映)を観ました。また、史実はどうかと、渡部淳著「検証・山内一豊伝説」を読んでみました。

 

    

 

愚直なまでの真っ直ぐな生き方で信長・秀吉・家康に仕えた戦国武将・山内一豊と、見事な内助の功で一豊を初代土佐藩主にまで押し上げた妻・千代を描いたドラマ。

 

出演:仲間由紀恵、上川隆也、前田 吟、永作博美、玉木 宏、生瀬勝久、田村 淳、長谷川京子、香川照之、成宮寛貴、中村橋之助、浅野ゆう子、柄本 明、佐久間良子、西田敏行、坂東三津五郎 ほか

 

原作:司馬遼太郎「功名が辻」、脚本:大石 静、音楽:小六禮次郎

 

(感想など)

 

戦国大名の山内一豊と妻・千代の夫婦愛を中心に、一豊が50石から土佐20万石の城主に上り詰めたその課程を、戦場場面も含めなかなかリアルに描き、面白いドラマでした。千代役に仲間由紀恵、一豊役に上川隆也と、配役もよかった。細川ガラシャ役の長谷川京子さんの気高く美しい姿も素晴らしい。

 

【渡部淳著 検証・山内一豊伝説(講談社現代新書)】

 

   

表紙

 

(著者略歴)

 

渡部淳さんは、1962年生まれ、名古屋大学大学院終了。財団法人土佐山内家宝物資料館で、山内家から高知県へ移管された約7万点の古文書などの整理、調査、展示などに当たっている。学芸員を経て館長。論文多数。

 

(本書の概要)

 

日本史上最強の「内助の功」伝説は本当か。うだつの上がらない下級武士・山内一豊を土佐一国の大名にした妻・見性院の知力、胆力を史実から検証し、戦国時代を生き残った秘訣を探る新書版『功名が辻』

 

(大まかな目次)

 

第1章 流浪時代と「黄金十両の名馬」
     夫人の出自と「名馬購入伝説」
第2章 秀吉の天下と「天皇献上の小袖」
     夫人の「小袖献上伝説」、掛川5万9千石と秀次事件
第3章 関ヶ原の戦いと「笠の緒の密書」
     家康を感涙させた小山軍議
第4章 「土佐24万石」の真実
     長宗我部旧臣の抵抗、「高知」をつくった一豊藩政
第5章 藩祖夫人の「最後の戦い」

 

(感想など)

 

全体は、山内一豊とその妻の生涯、山内家の家臣や政策について記した内容です。関連資料を精査した真摯な内容で、妻の内助の功伝説についても、真偽を検討していて、エキサイティングです。

 

著者は、内助の功伝説について、『名馬購入と小袖献上の逸話は、・・・ともに事実かどうかは疑わしい。一方、関ヶ原における密書の送付、一豊亡きあとの京都における北政所との交流、この二つは事実と考えてよい』と記し、夫人は、政治感覚に優れた女性だと結論づけています。

 

ドラマでは、山内一豊は、武勇だけの武将のように描かれますが、本書を読むと、先の読める優れた武将であったと思わざるを得ません。秀吉により、甥の秀次の宿老(面倒をみる役目)を命じられ、秀次失脚後8千石を与えられている点、そして、豊臣大名から徳川大名への転身と、全く見事です。

 

なお、山内一豊の妻の「伝説」とは
○一豊に名馬を買わせるために妻(千代)は、へそくりの黄金十両を差し出した。
○関ヶ原前夜、千代が届けた「密書」で一豊は家康の信頼を得た。
○そのおかげで一豊は土佐二十四万石の藩主となり大出世をとげた。。

      

(大河ドラマ「功名が辻」(DVD)の場面から)

 

土佐は、長宗我部元親時代は9万8千石だったので、掛川5万9千石から10万石弱への出世のように思えます。20万石としたのは、家格の点からか、土佐藩自ら幕府への報告で石高を上げたもの。

高知城築城は、一豊によるもの。土佐は、長宗我部元親の旧家臣がいて、その制圧のために、引き渡し前の徳川藩士、引き渡し後の土佐藩も苦労しています。

秀吉時代の一豊の同僚で、その後も深い交流のあった3家(堀尾、中村、山内)のうち、明治まで続くことのできたのは、山内家だけです。

一豊(上川隆也)と千代(仲間由紀恵)。千代という名前は、実際には不明。

一豊亡きあとは、弟の安豊の嫡男山内忠義が2代目となる。妻は、家康の養女阿姫。

一豊没後、夫人は出家して見性院に。その出自は、確定できないが、近年は、歌道で知られる東常縁の子孫で、美濃郡上城主であった遠藤盛数の娘という説が唱えられている。達筆で政治感覚に優れた点など、このあたりの出自かもしれないと思いました。