交通犯罪と無関係な記事の引用から始めます。
今年1月29日付朝日新聞の天声人語です。
知る人ぞ知る、米兵による昔のむごい殺人事件で、
犯人の名を取って呼ばれるジラード事件があります。
1957年、群馬で米兵が面白半分に主婦を撃ち殺し、
日米間で揉めた末にようやく日本で裁判したけれども、
結局、執行猶予で終わってしまう。
裁判が終わるや犯人のジラードはさっさと帰国し、
(あれ?執行猶予期間ってなんだっけ?)
後日「軽い罪でよろしく」という日米間密約が判明した。
(あれ?裁判官の独立ってなんだっけ?)
・・・と書いているだけで嘆息しかない事件ですが、
ここで取り上げた理由は引用されている遺族の言葉、
「無罪と同じです」
に同じ思いをした者として、
目にした瞬間に胸をえぐられたからです。
そう。
いくら職業裁判官や司法関係者が、
どんな高邁な理念や理屈をつけようとも、
遺族にとって犯人の執行猶予は「無罪と同じ」
殺人でも交通犯罪でも関係なくそう。
1957年でも私の時の2010年でも2025年でも同じ。
70年前も、今もずっと、多くの遺族は、
「だってこの国ではそういうもの」
「そういうものなんだから仕方ない」
という法曹らの「高邁な」基準に苦しめられている。
でも遺族を苦しめるそんなものに高邁さなどあるのか。
私の率直な感想を言えば、
人の命を奪った犯人に対する執行猶予付き判決など、
アフリカ一部で今も行われる女性割礼と同レベルの
醜く、残虐な「風習」でしかないと思っています。
(唐突に昔の映画「戦士の刻印」を思い出したので)
多くの法曹らにも自答してほしいと感じています。

