実家を手放す | 自転車に家族を殺されるということ

自転車に家族を殺されるということ

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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

現在進行で書くと差し障りがあったので、

月日が過ぎてからの振り返りの書き込みです。

 

母が奪われて、父も施設になんとか入居し、

ずっと空き家のままだった実家を手放しました。

 

今年3月に売却が完了し、4月には早速取り壊され、

先日寄ってみたら、もう新しい家が建っていました。

 

 

 

やはり寂しい思いがこみ上げてきました。

 

これで生まれ育った東京都の大田区とも、

つながりは切れてしまうことになりました。

 

遅かれ早かれ、実家は手放していたと思います。

 

ただ母が奪われ、父が施設に入る形で手放すのは、

やはり喪失感がないといえば嘘になります。

 

今年1月から3月にかけては、ほぼ毎週末、

実家の整理と片付けに行っていました。

(現在進行形で書くと、「泥棒さん、いらっしゃい」

 の情報提供になるので、当時は書けませんでした)

 

人の住まない家は荒れるという話も実感しました。

 

残すものは自宅に引き取り、それ以外はゴミに・・・。

その選別もとても悩ましい時が多々ありました。

 

ある知り合ったエッセイストの方が、

「すべての思い出のものを取っておくのは無理。

 写真に撮って、ものは手放すという方法もある」

と教えてくれて、そうしたものもありました。

 

被害者遺族になると、死亡届や戸籍のことなど、

奪われた命の記録を消す作業を容赦なく求められ、

その残酷さを痛感させられることになります。

 

しかし数年かけて、最終的に思い出を消す作業も、

やはり胸に突き刺さるものがありました。

 

日々忙しさにかまけて、実家の近所の方に、

きちんとした挨拶もできず、半年近く経ってしまった。

こちらの名産の梨でも持って(そろそろ季節です)

近いうちに挨拶に行ってこようと思っています。