現在進行で書くと差し障りがあったので、
月日が過ぎてからの振り返りの書き込みです。
母が奪われて、父も施設になんとか入居し、
ずっと空き家のままだった実家を手放しました。
今年3月に売却が完了し、4月には早速取り壊され、
先日寄ってみたら、もう新しい家が建っていました。
やはり寂しい思いがこみ上げてきました。
これで生まれ育った東京都の大田区とも、
つながりは切れてしまうことになりました。
遅かれ早かれ、実家は手放していたと思います。
ただ母が奪われ、父が施設に入る形で手放すのは、
やはり喪失感がないといえば嘘になります。
今年1月から3月にかけては、ほぼ毎週末、
実家の整理と片付けに行っていました。
(現在進行形で書くと、「泥棒さん、いらっしゃい」
の情報提供になるので、当時は書けませんでした)
人の住まない家は荒れるという話も実感しました。
残すものは自宅に引き取り、それ以外はゴミに・・・。
その選別もとても悩ましい時が多々ありました。
ある知り合ったエッセイストの方が、
「すべての思い出のものを取っておくのは無理。
写真に撮って、ものは手放すという方法もある」
と教えてくれて、そうしたものもありました。
被害者遺族になると、死亡届や戸籍のことなど、
奪われた命の記録を消す作業を容赦なく求められ、
その残酷さを痛感させられることになります。
しかし数年かけて、最終的に思い出を消す作業も、
やはり胸に突き刺さるものがありました。
日々忙しさにかまけて、実家の近所の方に、
きちんとした挨拶もできず、半年近く経ってしまった。
こちらの名産の梨でも持って(そろそろ季節です)
近いうちに挨拶に行ってこようと思っています。

