7月度あいの会グリーフサポート | 自転車に家族を殺されるということ

自転車に家族を殺されるということ

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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

この土曜日はあいの会でした。


山口県から、グリーフサポートやまぐちの

山根和子さんをお招きしてのグリーフの話し合い。

そして遺族の集まりの歩みや方法などを話し合い、

解散してしまったけど、山根さんも私も会員だった、

全国交通事故遺族の会のDVDを観たりしました。








細かい内容はあいの会のブログに書いたので、

ここでは重複して繰り返しません。

http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/49047359.html


個人のことに引き付けて言えば、

義父母の言葉に傷つき、距離のできた人が多いことに、

あらためて考えさせられるものがありました。


私もそうした一人だからです。


具体的な言葉は個々の事情なので書きませんが、

やはり親身にしてもらっていたと思っていたら、

遠い場所にいたとわかった時はとても悲しく感じました。


もちろん私の義父母も、そして遺族の多くの義父母も、

決して悪い人ではなく、ごく普通の人たちです。

マザー・テレサみたいな人はあちこちにいるわけではないし、

親を奪われた場合、遺族からみた多くの義父母にとっては、

数回会った他人が殺されたに過ぎない場合がほとんどです。

子供や配偶者が殺された場合の兄弟姉妹なども、

結局他人同士ですし、同じことが起きてしまいがちのようです。
そうしたごく普通の人たちに、同じ感覚を求めるのは、

最初から無理ですし、それ自体傲慢な話なのだと思います。


遺族は時の経過とともに無理解に接することが多くなります。

そしてそれはある意味仕方のないことなのかもしれません。


この分野に限らず、100人いたら100人が賛同する話なんて、

ただ単に気持ちの悪いだけなのだとも思います。


ただ無理解に接することが多いなかでも、

月1回、「ここでしか話せないこと」を話し合う時間がある、

ということはやはり恵まれていることなのだと実感しています。


あいの会も集まり前日の7月8日に4歳の誕生日を迎えました。

この継続は、それなりに誇ってもいいのかなと思っています。