コロナ | 狂った日本の中で生きるチカラ

狂った日本の中で生きるチカラ

日本の社会に翻弄されて得た沢山の記憶と体験をこれから体験するかもしれない人のために在るべき姿。

本当に久しぶりにブログを更新する。

この数ヶ月は波乱に満ちた状況が続いた。
昨年9月にまだ2期目にも関わらず抜本的な人的リストラを行わなければならない状態となり、地元の元料理人を信じた自分が悪かったのだが余りに仕事をしない役員だった。
言うだけ大将を含めて仕事が出来なかった役員や新人若手までも退職としその整理が年末までかかってしまいその間も資金は足りずにとにかく固定費を圧縮する努力を続けた。

地元に貢献したいと思い採用したり着任させたが、やはり仕事ありきの採用にすべきだったのだ。あそこまで仕事をせずに逃げる人物を正直知らなかった世間知らずの私に非があったと思わざるを得ない。

それでも年明けにはようやくリカバリーが出来て、さてこれでようやく…と思ったのも束の間。
コロナ禍は突然やってきた。

売上はほぼゼロ。
支払も滞り、売上が無い状態に陥るのは何ともあっという間の時間だった。
長野県は観光立国。私のお客様はほとんどが県内のホテルやレストラン・旅館などで、そのお客様のほとんどが顧客を突然奪われた形になった。食材原料を扱う当社にもようやく回復の兆しが見えた売上が消え去り、開店休業状態に。

ただ、一点。
リストラをしたばかりだったので、固定費をかなり圧縮していた事もあり、おそらくは周囲の同業他社よりも固定費やランニングコストが無かった事、また金融機関との交渉も事前に話せていた事も相まって苦しい環境は変わらないが持続化補助金などの金額でも何とかなりそうな状況が社内で整いつつあった事もあり、未だ多くの取引先にご迷惑はおかけしていても生きられる状態にあったとも言えた。

もし、1月時点でリストラ処理が出来ていなかったらと思うとゾッとするが、、、。

政府の対応策は明らかに浮世立っていて、これほど無能とも思わなかったと言わざるを得ないし、専門家と呼ばれる連中も忖度なのか無能なのかとにかく見当違いの対策に追われ、新型コロナウイルス罹患による生死のリスクよりも仕事喪失や固定費の未払や社会的信用の喪失による収入無しになる事での社会的抹殺の方がかなり問題である。

当社ももちろん厳しいが、それよりも日本や世界でどれほどの飲食業や宿泊業、イベント業が奪われ、その目的が的外れと言わんばかりの政府主導による「自粛」と「社会的相互監視」で突然明日を奪われた事による終焉を待つという今が余りにも納得がいかない。
国はチマチマと金を配るらしいが、未だに手元にも来ないし、変な制限や結果的に審査に煩い金融機関、そして生きるために店舗の営業をしようと試みる事業所に心無い自粛警察の締め付けが纏わり付く。
その土壌を作ったのは政府であり、忖度してそれでも視聴率を求めるマスコミであり、都道府県や自治体も結果的にその流れに従うという体たらく。

コロナはこれからの日本や世界の在り方を変えるけど、コレが誰かの意図なのか、それとも自然界からの警告なのか。
どちらにしてもどう生きるかが課題である。