テレビ番組 | 狂った日本の中で生きるチカラ

狂った日本の中で生きるチカラ

日本の社会に翻弄されて得た沢山の記憶と体験をこれから体験するかもしれない人のために在るべき姿。

最近家族でよくテレビを観る。
中には「国民の思考能力を奪う超高効率ツール」呼ばわりされるけど、テーマを感じるドラマやアニメを愉しく観ながら思う。

3年A組。
過激だけどとても共感する。
あ〜でもしないと確かに世の中変わらないし、助けたい人も助けられず、今の子はソレをハナっから気づいていて色々と諦めているようにも思う。
だからか、若手の育成には今の会社でも喫緊の課題で、想定していた以前のステージからの教育が急務だったりする。

柊先生のような人は今の教育現場には決していないし、むしろハナで笑う教育者の方が多いだろう。
満足に人格も育っていないコドモ親に詰られ、コドモ親の報復が怖くて生徒に満足に伝えたい事を言えず、そのためドンドンと次世代の子供達が劣化した大人となり社会に排出されてくる。

ダメな子や言うことをききない子供の親ほど煩く騒ぎ立て、そりゃあ血筋か基礎的な親の育て方に多々問題あるだろうと思わざるを得ない子供を中心に添えたクラス編成や価値観教育を行なっている。

ダメの子に合わせた教育は、才能を持つ子や努力を惜しまない子にその皺寄せを押し付け、その子達にとっての未来は暗いものと感じさせても教師は問題が起きれば転勤で逃げられるため最後は必ず妥協していく。

柊先生のように命に関わる病気などもう逃げられない状態にまで追い詰められてようやく起こせるのがあのドラマだ。
それだって基本的には犯罪だしあのような選択肢は無いだろう。

昔からアニメやドラマでは、その時代から失われた「何か」を気付かせるがためかのようなものが生まれる。時代の流れに敏感な番組制作者が視聴率欲しさにたまたま作るのだろうけど、それがパチンっとハマる時がある。

宮崎駿作品などはある意味その代表作であり、我が家も好きで良く観るのだけど、面白い?のはその物語の背景や訴求は気付く人と気付かない人で余りに差がある事に驚く事がある。
私なら露骨過ぎると感じるような事も、人によっては全く感じずに別の観点でしか捉えない人もいるのだ。

昔の歌に「恋に落ちて」という名曲がある。
今の若手の男の子にその曲の感じ方を聞くと、決まって可愛くて純粋な女性の恋の物語だと言う。
ところが、私と同世代の40〜50歳以上の男性に聞けばもちろん「怖ぇぇ〜!!」という。笑

不倫をする女性の想いを歌う歌だからだ。

ところが今の子は「不倫」というキーワードが実際に出てこないとそうは思わない。経験が無いから???
う〜ん、その理由だけでは決められないのが今の教育の在り方に反映していると私は思っている。

想像力や創造力は普段から働かせないと残念ながら育まれない。
生まれた家庭で、
学校で、
塾で、
部活で、
バイト先で、
職場で、
私達の社会は限りなく想像力や創造力、発想力を奪うために教育を行なう。
考えられると統一性が失われ、経営者や団体の長、理事者や利権者のは想定を超えて崩される事を恐れ、そのレールにハメようとする。
自らよりも優れたそれらの力を持つ者は邪魔な者となり、出来るだけ事前に排除しようと試みる。
まだ戦時中や情報が少ない時期はそれでも良かった。全員が全員同じ方向を向いていればメシが食えた時代。リーダーにもそう言った意味で誰よりも優れたチカラと情報があった。
ただ、その劣化を招く教育はその後に続く後継者をより小さき者にし、更にその子らは更に自らのより未熟なチカラを持つ者しか評価をしなくなった。

教育の話が長くなってしまったけど、それだけ日本人は劣化を続け今日に至る。
気付かずに幸せな事は良い事かもしれない。ただ、ゴイム(家畜)化していく社会では今のような激変社会ではレールを外れた途端に飢餓状態となり命の危険すらあるのが今の社会であり、ネットで情報は開かれているものの、それらの多くは同じような不幸なものを探すツールか、利権者の揚げ足を取るためだけのマシーンとなりつつある。

そんな社会に一石を投じていると感じるドラマだったのでブログにしてみたのだ。

そんな番組がたまに出ると面白いと感じるが、実は他の視聴者とは違って感じているのかと思うと更に面白くもあり、また寂しくも感じるのだ。
地方に移住して更にその差を感じるので、やはり根底の情報格差は歴然とある事も忘れてはならない。
価値観というものはそう簡単に変えられないし、感じ方も新たなものや全く別の視点で捉えるという事もまた難しいよあである。