もうすぐ息子は東京に | 狂った日本の中で生きるチカラ

狂った日本の中で生きるチカラ

日本の社会に翻弄されて得た沢山の記憶と体験をこれから体験するかもしれない人のために在るべき姿。

息子が希望する教職免許を取るために…という事で、私が卒業した大学を受ける事になった。
その大学は東京にあり、本来なら行かせたくない気持ちで一杯なのだが、彼たっての希望。

今の長野の地に移住した理由として、
●人工放射能汚染
●関東大震災の恐れ
●東南海地震による津波の恐れ
●人間性が疲弊し麻痺するために起こる人災の増加
●世界的経済崩壊が予期される中での暴動の危険性
●上記が起きた場合の食糧危機
●上記が起きた場合の交通封鎖
●上記が起きた場合の暴力増加

コレがあるから移住したのだ。
「まさか!?コイツ、何言ってるの?」
と言われるかもしれないが、実際に放射線値は高くなり、本来なら危険水域と言われる値も国の隠蔽体質により改ざんされる始末。
東京での地震や天災に伴うリスクは日々増大し、都会に住む人達の我関せずなスタンスはいざ何か起きた時には確実に隣人から奪取するだろう。

一部の利権者だけが全てを確保し、それ以外は放置して淘汰させる…位のスタンスを持つという構図は常に置かれていても、誰もそのリスクには目を瞑り、いつしか心に蓋をして暮らす事が常識となった街だ。

そんな街に息子を送り出すのはいささか気が咎めるのと、厳しい時代を乗り越えてきた家族の絆が離れ離れになる事への寂しさもあるように思う。

せめて当初の目標であった県内の学校にしてもらえたと願っていたけれど、息子の目標には教職単位が取れる大学への進学が必須で、そうなると好条件はどうしても都内の某大学となったのだ。

まだ試験はこれからなのでまだまだどうなるかは分からないけど、せめて私と妻の終の住処が出来るタイミングまでは一緒にいて欲しいと願うという複雑な心境なのだ。

ある専門の学校の先生になりたいと言う。
まさかそういう道に進むようになるとは思わなかったけど、実のところ私と同じ経営者にはなってほしくはなかったので、応援してあげなきゃいけないと思ったのだ…けどね。

出身者であり、三十過ぎまで生きてきた私が言うのもなんだけど、東京は既に人が心地良く生きる環境では無くなっている。
生ける屍のように生きるには身も隠せるし誰も気になどしないから良いかもしれないが、そうでなければ私は自らの未来を託せる地では無いと断言できる地域である。

その渦中に放り込むというカオスのような状況になる事を未だに受け入れきれていない心境に怖さと寂しさと動悸を隠せないでいる。