世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録される見通しとなったそうだ。正直うれしい。なぜなら、ここ最近「隠れキリシタン」について個人的に調べていたからである。キリシタンって言っても、あの虫歯にならないフィンランドのガムちゃいまんねんで。

 

私は長崎という街が好きで、最後に訪れたのは5年前。長崎は、長崎本線の終着駅になっている。車止めには旅情を感じる。長年の片思いを諦めさせてくれるような、ぷっつりと切れた線路である。


 

長崎。それは古くから貿易で栄えた港、粘土をぺたぺた盛ってつけたようにのびる急斜面、それにへばりつく住宅。それに夜の灯がともれば100万ドルの夜景であり、雨が降れば内山田洋とクールファイブが切なげに情景を歌う。昔から外国取引が盛んで、異国情緒が街を彩る。ちゃんぽんも美味しい。チャーシューまんも。日本のビールはグラバー園で育った。長崎サイコー。そして、街中にはキリスト教関連のハイカラな建物が多い。これが今回のキリシタン関連遺産である。


 

私が調べた限り、隠れキリシタンには、こんなストーリーがあった(おっと、詳しい方は飛ばしてください。デタラメを言うかもしれません)。


その昔、フランシスコ・ザビエルが日本に持ち込んだキリスト教を、徳川幕府が「ダメ!」と禁じた。もし見つかったら、ボコられて、島流し、最悪死刑。お~、こわ。「踏み絵」と称して、「おぬし、このマリア様の絵、踏んでみろ、踏めなかったらキリシタン認定な」という薄っぺらいとも言える検査をするなど、とにかく国を挙げての禁教だった。

 

やがて、日本は鎖国をして、引きこもり状態に。それでも信者たちは「潜伏キリシタン」(隠れキリシタン)として、こっそり十字をきってきた。250年近くも代々受け継いできた。バレないように岩に十字の傷をつけ、十字架に見立てて祈祷した跡も複数見つかっている。

 

何年か引きこもった後、アメリカのペリーが「国をアケナサーイ!」とドアをノック。ようやく日本は部屋から出てくるに至った。

 

鎖国を解いた後も、キリスト教の禁止は続いた。ただ、日本に住む外国人ためのお祈り場として長崎に「大浦天主堂」という、でっかい教会が建設された。そこにある日、「実はあたくし、代々信仰を守ってきたキリシタンなんです!」と日本人女性が飛び込む。「まだ日本にキリスト教の信者がいたなんて!おぉ神よ!アーメン」と神父は感動したという。250年近く隠れて信仰を受け継ぐなんて、おお歴史ロマンよ。250年といったら、ばあちゃんの、ばあちゃんの、そのまたばあちゃんの……想像がつかない。

 

これをきっかけに、なんとその辺の住人の9割近い人が「実はあたしも」「あたいも」「おれっちもキリシタンでした~」と、続々と名乗り出たんだそうな。これに対して幕府は激おこ。懲りずにまたボコったという悲しい事件もあったりしたみたいで。

 

ところで、250年も地下で信仰を語り継ぐわけだから、そりゃ当初のキリスト教から形は変わっていく。特に五島列島では独自の進化を遂げた。現在それは「カクレキリシタン」というひとつの信仰として、今でも続いているらしい。隠れてないけどカクレ。これと区別をするために、歴史で習ったいわゆる「隠れキリシタン」は「潜伏キリシタン」と呼ぶようになったとか。

 

ここまで調べて、そんな興味深い話、歴史の授業でやったっけ!?と日本史の先生を問いただしたくもなった。が、たまたまサボってボウリングに行ってたような気もするので、まあ今回は水に流そう。

 

関係ないけど、この「隠れキリシタン」の構造は、現代における「不倫」になんとなく似ている。不倫が明るみにでたら、吊し上げて、ネット炎上、島流し、ワイドショー垂れ流しの刑である。不倫なんて、問いただしたら、大なり小なりいっぱい出てくるもんだけど。吊し上げているメディア側も、明日は我が身と震えながら情報を流しているのかもしれない。なんてね。なんてね~。

 

ちなみに私の大好きな前川清さんも長崎出身のクリスチャンである。セバスチャンという洗礼名を持っているのはコンサートの鉄板ネタだ。

 

5年前に訪れたグラバー園。長崎は今日も雨だった