今から書くのは
7月21、22日に夫と
長野に旅行したうち、

22日の記録の
9つ目ですニコニコ


竹風堂松代店で
栗おこわ栗氷を堪能し
松代城跡を散策した私達は、

次に文武学校へ
向かいました走る人走る人


文武学校は松代藩の藩校で
江戸時代に建てられた
国の史跡でありながら、

なんと、今も現役で
市民に利用されているのです❗️びっくり



https://www.sanadahoumotsukan.com/facility_detail.php?n=3






江戸時代から
全然変わっていないという
この冠木門を潜って、

私達は文武学校の中に
入りました。


映画や時代劇のロケに
しばしば使われるというのも
頷けるくらい
文武学校の建物は
どれも歴史を経た本物が持つ
堂々とした風格があり、

これらの施設を
日常生活で使える長野市民は
なんて恵まれているんだろうと、
私は心底羨ましかったですチュー


私達はまず最初に
門を潜ってすぐ左にある、
柔術所に入りました。






なんと、柔術所では
当時の鉄砲や大砲を
実際に触って
的に向かって撃つという
バーチャル砲術体験が
出来るということで、

夫は3種類の鉄砲と
1種類の大砲を
順番に試しました。



松代藩の砲術師範だった
前嶋源蔵一政さんが
玉を込めろ、
火薬を入れろ、
撃鉄を引けなどと
順番に指示してくれるのですが、

そうとう遠くにある
小さな的に命中させるのは
かなり難しく、

夫は「ハズレじゃ」と
毎回前嶋さんから
言われていました笑い泣き



とても面白かったので
ぜひ皆さんも
やってみて下さいルンルンウインク


前嶋さんのお宅は現在
「旧前島家住宅」として
県宝に指定されているそうで、

次に松代に来た時は
武家屋敷巡りをしたいですおねがい💕




冠木門の横には
番所があり、

門番がいた場所に
今は受付があって、

「松代ってすごいなぁ⋯」と
ほとほと感心しましたびっくり



次に私達が見学したのは
西序という建物です。


「序」とは室という意味で
建築当初は2階建ての建物で
武士の礼儀作法や
西洋や東洋の医学の教室として
作られましたが、

幕末の世情を反映して
すぐに槍術所として改装され
南側の壁や階段、天井も
取り払われてしまいましたが、

昭和の改修で
2階が復元されて
当初の姿を取り戻したそうです。


中には机とパソコンが
何台か置いてあり、

なんとここも
教室などで借りる事が
出来るそうです❗️びっくり


長野市民は
どれだけ恵まれて
いるのでしょうか⋯。








玄関を入ってすぐの空間には
佐久間象山先生の木像が
据えられていました。



次に弓術所を
見学しました。


明治6年に松代学校として
使用されてからは
的場が撤去されていましたが、

平成9年の修理で
的場が復元され、

市民がふたたび
弓道の練習に使えるように
なったそうです。




私達が中に入ろうとした時に
たまたま練習している方が
いらっしゃったので
遠慮しようとしましたが、

「大丈夫ですよ。」と
仰っていただいたので、

有り難く見学させて
いただきました。


弓を引き絞るのに
ものすごく力がいりそうだし
そうとう離れた所にある
あの的に当てるには
かなりの精神集中が必要そうだと
感じました。


私達が見ていた為に
緊張してしまわれたのか、

男性は3度射て
3度とも外してしまわれたので
なんだか申し訳なかったですアセアセ


砲術も弓術も
ちゃんと当てるのは本当に
難しいんだな、

那須与一って
今風の言葉で言えば
マジで神なんだなと、
つくづく感じました🏹



その後
「どこからいらしたのですか。」と
男性から質問されて、
しばらくお話しました。


男性によれば
下の写真の左側の
畳が1段高い所は、

藩主が見学する為の
場所だったそうです。


「今でも真田家ご当主か
皇族の方がいらしたら、
あの畳の上に
お座りになるのでしょうね。」

「そうですね。」と話して、
笑い合いました。



1段低い畳には
弓術師範がお座りに
なるのかしら、

それとも藩主の
お付の方かしら⋯。



文武学校の師匠は
専業ではなく、

普段は武士として
本来の務めをしながら
副業として門弟達に
稽古していたそうです。


門弟は武士の男子のみで
500名ほど該当者がいる中で
実際に文武学校に通っていたのは
200名ほどだったようです。


稽古は毎年1月18日に始まり
12月18日が稽古納めで
藩の役人が決めた日割に従い
稽古を行なっていたそうです。


稽古は半日制で
午前と午後に分けて行われ
1のつく日、2のつく日と
稽古が割り振られて、

1つの流派につき
1か月に6回ほど
稽古があったそうです。


門弟達はどの流派のどの師匠から
どのくらい習うか
自分で決める事が出来、

入学すると8歳ごろから学問を、
14歳ごろから武道の稽古を
始めたそうです。


毎年春と秋には花の丸御殿の道場で
藩主や家老など重臣達の前で
武芸を演武する「御一覧」が、

冬には儒教の教科書を暗唱したり
解説する「御聴聞」があり、

成績優秀者には金子や書籍が
褒美として贈られたそうです。



次に私達は
文学所に入りました。

左右に長い建物です。



文武学校の説明を
映像で鑑賞しました。


めちゃめちゃ広い部屋です。

ここなら新年の稽古始めでも
200人全員が
ゆうに入りますね。



文学所の式台
(元藩主用玄関で
今は一般の入り口)から
冠木門を見た所です。


文学所の周囲には
塀が設けられていました。

武芸所から聞こえる声が
うるさいからかな…。




大広間の畳は
師範などの高位の人は
一番床の間に近い
大間一之間に座り、

門弟は大間二之間か
三之間に座ったそうです。


廊下の両側にある畳は
入側と言って
控えの間や小教室としても
使われたそうですが、

本来は高位の方が使用する通路で
門弟は入側のさらに外側にある
板張りの廊下を
使用したそうです。



なるほど〜。


台所では
仲間や番人と呼ばれる人達がおり
食事の用意だけでなく
備品の管理や施設の修繕
冬季の雪かきを行っていたそうです。

また午前と午後の
通し稽古が行われる時は
豆腐汁という味噌汁が
仲間によって門弟に配られ、

またスイカや饅頭などが
配られることも
あったそうです。




お役所へ行きます。


真田邸と大きく違うのは
植物がほとんど
生えていない所です。


植物の世話をするのは
手間ですからね…。




時代劇でそのまま
お役所シーンを撮影するのに
ぴったりな場所だ❗️と
思いました。



御居間もブレましたアセアセ



藩主がご休憩する場所で
脇息がありました。


畳敷きの入側と
板貼りの廊下の写真です。



お役所の再現展示が
されていました。

ここでお目付という役職で
働いていた藩士達が
「文武学校日記」や
「学校御条目」に書いていた
備品の目録や絵図をもとに、
再現したそうです。



再現展示があったお陰で
ここでたくさんの人が
毎日働いたり稽古したり
豆腐汁を作ったりして
生きていたんだなぁ…と
実感出来て、
親近感が湧きましたおねがい



この廊下と塀を眺めながら
仕事していたんだなぁ…。


文武学校からは
隣の松代小学校が見えます。


過去と現代は
断絶したものではなくて
私達の命と同じく
一続きに繋がっているんだと
感じられました。



最後に私達は
冠木門を潜って
すぐ右側にあった、
剣術所に入りました。



大きな建物で
天井の梁がすごいですびっくり

雪国らしい
堅牢な造りだと思いました。



ここにも、
藩主が座ったであろう
1段高い畳の場所が
ありました。


すごく楽しかったので
ここもじっくりと
見てしまいました❗️爆笑


ちなみに、
長野市デジタルミュージアムでは
長野県史などの貴重な資料を
誰でも閲覧出来るようです❗️ひらめき飛び出すハート


https://adeac.jp/nagano-city/top/


文武学校は
こちらに記載があります下矢印


https://adeac.jp/nagano-city/catalog-list/cg00000004



長野市の素晴らしさ
松代藩の底力に、
私も夫も
感嘆しきりでしたニコニコ飛び出すハート


松代荘さんに
宿泊したお陰で
文武学校を見学出来た事に、
感謝いたします。


続きます。