
今から書くのは
7月4日、5日に
夫と千葉に旅行したうち、
4日の記録の
はじまりです
4日に私達は
坂東三十三観音の
第28番札所である龍正院様に
初めて参詣いたしました。
まだ梅雨が明けていなくて、
曇りの涼しい日でした。

駐車場は広かったです。
https://namegawakannon.jp/history.html
以下はホームページに書かれていた
龍正院様のご縁起です。
「ご本尊は御丈一寸二分の十一面観世音様で、
後に定朝作の
一丈二尺の観音像の胎内に納められ
通称滑河観音の名で世に知られている。
任明天皇の承和5(838)年
慈覚大師の草創と伝えられる。
この年の5月、
当地方は時ならぬ冷害に見舞われ
為に作物は実らず、
人々は飢えに横たわるものが続出する
有様であった。
城主将治公はこの悲嘆を見聞され
金銭五穀を施し更に観世音を念じられて
法華経を読誦したところ
結願の日に「朝日姫」と名乗る少女が現れ
「汝の願いごと叶うべし」と
小田川辺に案内して忽然と姿を消した。
河中を見ると1人の高僧が船を浮かべ
衣を網になして引いたと思うや
小さな観音像を掬いあげて将治公に与え
「この淵より湧く水をなめよ」と教え去った。
そのお告げの通りにし、
尊像を奉持し堂宇を建てお祀りすると
気候も回復し五穀も実り
人々は蘇生の思いをしたという。
爾来霊験いよいよ高く、
延命開運、安産子育ての観音として
法灯の輝くこと
一千百七十年に及んでいる。」
世の中には
こうした不思議な話を信じない方も
いらっしゃると思いますが、
私も妹も
理屈ではどうにも説明がつかない
不思議なことを数知れず
体験しているので、
滑河観音様のご縁起を読んで
私はこれは
本当に起こったことだと
信じられました。
それで、
全文を字句そのままに
書き写しました。

茅葺き屋根の仁王門には
大変風情がありました。



仁王門には
遠目から見ても
変わった形のしめ縄が
張られていました。


「すごいね…。」
「うん。
この葉っぱ、
何だろうね

」

素朴な形の仁王様は
とても強そうでした。



門前にしめ縄の説明が
貼られていたので、
この葉っぱは
蔦だとわかりました。

「正月八日 しめ縄奉納
仁王門のしめ縄奉納は
江戸時代に門前の新宿区が
大火を被った時、
仁王様が観音堂の上に立ち
大きなうちわで火をあおり返して
お守りになったことから、
毎年一月八日の初仁王の日に
藁を持ち寄り
しめ縄を奉納するようになりました。
仁王様への感謝と
五穀豊穣、子孫繁栄を願って
作られたしめ縄は
龍正院の龍を表し、
飾られる蔦は山を表して
龍が山の中を歩いているところを
表しています。
またこの日には
子も仏様からの借り物と考える
取り子行事も行われます。
小学校入学前の子供達が護摩壇を囲み
観音様を守る仁王様にあやかって
身体健康、無病息災を願います。」
ここにも奇跡と
恩を忘れない
気持ちがある…。





子安観音様と弁天様は
素晴らしかったです。
坂東三十三観音の札所は
どこも素晴らしいのですが、
本堂の観音様にお会いする前から
私は仁王様や
子安観音様と弁天様に
感動していました。






ご本尊様にお会いするのが
とても楽しみだったのですが、
残念なことに
ご本尊のご開帳は
8月8日からだったのです


それでも、
夫と2人で
はじめましてのご挨拶が
出来ました。
私の写真から
龍正院様の境内全体に漂う
素晴らしさが伝わると
いいのですが…。





「これはまた
来ないといけないね…。」と
夫と話しました。










境内の木々も
本当に素晴らしかったのです。


花がいっぱいの
納経所です。

左甚五郎作とも言われるこの馬は
かつては本堂入り口にありましたが、
夜な夜な抜け出して田畑を荒らしたり
地元の馬と喧嘩したりしたので
困った里人が住職に相談して
高い所に釘づけにしたそうです。

のし縄をなうところです。


大きなサルノコシカケが❗️



いつも成田山には
お詣りしていたけれど、
成田山の近くに
こんなに素晴らしい
お寺があるなんて、
知りませんでした。
これも、
坂東三十三観音札所巡りを
発願したお陰です。

トイレの横にある
欅さんも
素晴らしかったです。

坂東三十三観音巡礼を
発願したお陰で
龍正院様に参詣出来た事に
深く感謝いたします。