夫の父は現役の頃
省庁に初めてコンピューターを
採り入れた時に
まさにその部署にいて、
コボル言語から学習して
プログラミングを
実際に行った人なのにも
かかわらず、
どういう訳かこれまでは
パソコンも触らないし
インターネットも見ないし
携帯を携帯しないし
メールもラインも一切
やろうとしませんでした。
だから夫の父が
耳が遠くなってからは、
夫の父と
コミュニケーションを取る手段は
耳に口を近づけて大声で
少しずつゆっくり話すか、
夫の母に伝言するしか
今までは方法が
ありませんでした。
それが、
7月8日に緊急入院した夫の母が
面会禁止だった事から
一念発起して、
ラインのやり方の本を
妹に買って来てもらって
やっと❗️夫の父は
ラインが出来るように
なりました❗️
ところが、夫の父は
「好き、好き、好き、好き」
「愛してる、愛してる、愛してる」
などの、
夫の母への私的なラブレターを
1日100件超、
しかもものすごい長文で
少しあからさまな事まで
グループラインに毎日
送り続けたので、
下がかった話や下品な話が
大嫌いな次男は、
とうとう耐えきれずに
グループから
退出してしまいました
おそらく夫の妹から
しこたま怒られて
ラブレターは
少し減りましたが、
今度は夫の父は
オリンピックを
自分で実況中継して、
1日中私達に送り続けました。
元々ものすごくおしゃべりで
自分の話をするのが
大好きな人なのです。
私達は正直、精神的に
当時はオリンピックどころでは
なかったのですが、
それで夫の父の気が紛れるなら…と
何も言わずしたいように
させていました。
そして、
夫の母の容態は
日に日に悪くなり、
とうとう8月8日の夜中に
血圧が急に下がったと
病院から呼び出しが来て、
夫の妹と妹の三男の2人が
車で病院に向かいました。
現実を受け入れられず
毎日「ヤダヤダヤダヤダ」と
手放しでワンワン泣いて
身をよじって転がり回っている
夫の父には、
とてもではないけれど
夫の母の危篤を
知らせられませんでした。
他の家族は夫の妹から
知らせを受けましたが
東京と熊本なので
どうすることも出来ず、
布団から飛び起きると
まんじりともせずに
スマホを穴の開くほど眺めては、
迫りくる恐ろしい知らせを
待ち続けました。
その間もひっきりなしに
夫の父からは
「ヤッター❗️」
「〇〇頑張れ❗️」と
オリンピックの経過報告のラインが
次々と来るのです。
こんなにも苦しくて辛い
悲劇のクライマックスが
訪れている最中に、
こんなにもヘンテコで
ついフッと
笑ってしまうような、
喜劇のようにおかしみがある
シュールな不条理劇のような
何かのドラマのような事が、
人生にはホント、
起こるんだよなぁ…と
私は思いました。
しばらくして、
「3時43分に
お母さん、
行っちゃった。
ものすごく
ものすごく
頑張ってたんだけどね。
今エンゼルケアで
外に出されてるところ。」と
夫の妹から私達に
電話で連絡が来ました。
夫と私は
抱き合って静かに
しばらく泣きました。
その間も、
夫の父からは
「ヤッター❗️
みんな、金メダルだよ❗️」も
実況中継がどんどん
送られていました。
お父さんには、
もうこんな風に
一緒に抱き合って
泣いたり喜んだりする人が
いないんだな…と
私は思いながら、
私達は親を永遠に
失ってしまった悲しみを、
泣き続けました。