塩原温泉で
古町を散策した私と夫は、

紅の吊り橋の近くにある
妙雲寺様というお寺に
行ってみる事にしましたニコニコ



するとなんと、
ここも平家ゆかりの
お寺では
ありませんか❗️びっくり


私と夫は
秘湯の宿を巡り歩くうち
湯西川温泉や
塩原温泉が気に入って
毎年訪れるように
なったのですが、

栃木の山間部は
川俣温泉といい湯西川といい
鬼怒川や塩原といい、

どこもかしこも
平家の落人が隠れ棲んでいた
場所だったのですびっくり


東京の檜原村のたから荘も
ご先祖様は
平家の落人でした。


私は何年か前、

鎌倉の明月院で
一体誰なのか
全くわからない存在から
「忘れるな❗️
伝えろ❗️」と
強い調子で言われるという
不思議な体験をしました。


それからというもの
一体何を
忘れたらいけないのか
何を伝えたらいいのか
さっぱりわからないまま、

明月院の成り立ちについて
調べているうちに
源氏と平家の陰惨な争いと
鎌倉幕府の顛末を知り、

無念の◯を遂げた人の
鎮魂を祈る旅を
続けていました。


意図していないのに
旅行先が偶然
ゆかりの土地だという事が多く、

現地でゆかりの寺院を見つけては
何年も夫と一緒に
祈っていました。


鎌倉殿の13人のドラマが
終わってからは
母のこともあってか
不思議なお導きも
ありませんでしたが、

これは、
お詣りしなければ❗️プンプン
いうことで、

夫と本堂に行って
懇ろにお詣りしました。


本堂内部は撮影禁止で
残念ながら
ご紹介出来ませんが、
本当に
素晴らしかったです❗️おねがい


お経も数珠も輪袈裟も塗香も
お墓参りの帰りで
全部持っておりましたので、

勤行の式次第に沿って
御真言や般若心経を
お唱えしました。


お唱えしながら、

父を非業の◯で亡くして
父に会いたくて、
泣きながら成田山でずっと
祈り続けていたのも、

妹の前の夫が亡くなって
彼の成仏と
妹家族の幸せを祈って
あちこちの神社仏閣を
藁をも縋る思いで
おいおい泣きながら
経巡っていたのも、

何もかもが
幸せになった今も
こうして訪れた場所で必ず
その地と人々の幸せを
祈り続けているのも、

きっと何か
天から授けられた
お役目というか、

私にとって何か
意味があったのだなと
思いました。


たった1人で
何十年も
祈り続けて来たのに、

今はこんな風に
夫がそばにいて、

健康でお互い仲が良くて
どこでも一緒に
旅行してくれて、

急に読経を始めた私を
奇異な目で見ずに
見守ってくれている事に、

感謝しかありません。


黒い冠木門が重厚で
素晴らしいです。



下の写真の建物は
宿泊や式典も出来そうな
とても大きな建物でした。



下の建物は
博物館と看板にありましたが
閉まっていました。


藤の蔓が
藤棚から大木に乗り移って
とんでもない事に
なっていました❗️ガーン


塩原って、
どこもかしこも
自然パワーが過剰なほど
いちいち渦巻いています。


おそらく藤の季節は
大変に見事でしょう❤チュー



修行僧のご飯を
炊いていたらしい
大釜が、
ドデーンと野ざらしで
置かれていましたびっくり🍚


何升炊けるのかしら!?



また湧き水が…🎵おねがい
ここも苔が凄い事に
なっていました。


五色の吹き流しが
時折風にはためいて、
とても気持ち良かったです照れ



本当に不思議ですが
禅宗は禅宗独特の
雰囲気が、

真言宗には真言宗独特の
雰囲気があります。


他にはどなたも
いらっしゃいませんが
ここも禅宗独特の
ピシーッとした雰囲気が
境内に張り詰めていて、

読経以外は
足音や声を立てるのも
憚られるほどでした。



夫の宗派は
妙雲寺様と同じ
臨済宗妙心寺派です。


私は真言宗よりも
好きだと言ってもいいほど
禅宗が好きです。


私は真言宗のお寺の
ゆかりの者として生まれて
臨済宗の信徒として
最後は夫と眠る事を、
心から嬉しく
思っています。



小太郎ヶ淵にあった
貝石だと立て札に
書いてあって、
あっ❗️と思いましたびっくり


妹の前の夫が
まだ元気だった頃、

母と私達家族も
上の妹家族も
下の妹家族も一緒に
みんなで小太郎ヶ淵に行って
渓流沿いでお団子を食べた事が
ありましたお団子お茶


妹の前の夫が私達に
ここは気持ちいいから
お気に入りの場所なのだと
その時話してくれたのですが、

それきりすっかり忘れていて
場所もどこなのか
全然定かではなかったのに、

塩原温泉に来るようになり
天皇の間記念公園で
写真を見たお陰で、
あれは小太郎ヶ淵だった❗️と
わかったのでしたびっくり


小太郎ヶ淵には
貝の化石がびっしりついた岩が
ゴロゴロしていたのです。


どんなに時がたっても
大切な人との思い出は
こうしてふいに現れて、

私達を慰め
癒してくれます。



滝と庭園とが
静謐でした。



妙雲禅尼の墓所らしき
石塔の一群が
向こうに見えましたが、
立ち入り禁止でした。





下の写真は
樹齢推定500年の
大杉です。

3本が根元で1本に
結合しています。
妙雲尼塔の目印として
植えられたと
考えられるそうです。







奥には高尾太夫の墓所が
ありましたが、
なぜか
立ち寄りませんでした。



昭和天皇の御歌碑です。


妙雲寺様に滞在中
最初から最後まで
誰とも会いませんでした。


静寂に満ちた
素晴らしいひとときでした。








明治39年から
昭和32年の大火まで、
下の竜頭が
共用水道だったそうです。


町に21箇所あり
飛来沢湧水を
引いているそうです。




天災や戦災の大火に
昔から何度も見舞われてきた
塩原の人は、

平家の残党として
落ち延びてきた妙雲禅尼に対して
優しく敬意を持って
遇した事と思います。


まるで自然のように
優しい塩原の方々によって
妙雲禅尼様が、

この地で生き長らえて
下さった事に
感謝いたします。