2月27日の
午後1時に、
私と妹は訪問診療のO先生と
お会いする約束を
していました🎵

お礼参りにあたり
前もって電話をかけて
ご都合を伺うと、
O先生は毎日昼には
いったん診療所に戻るので、
火曜の午後一番なら
30分程度お会い出来ると
いうことでした。
訪問診療を契約する前、
妹は一度だけ診療所に
伺った事があるそうです。
昨年の秋に
O先生は大学病院勤務を辞めて
開業したばかりでした。
母のアパートよりも
狭い部屋に
事務員と看護師さんと先生の
3人がいらっしゃったと
その時妹は
話していました。
私と妹は午前中に
緩和ケア病棟と
ナーシングホームを訪れた後、
昨年の春に
母と妹と姪と4人で行った
パステルのレストランで
お昼を食べてから、
1時前に診療所へと
向かいました。
1年前は
母はまだ元気で、
腰痛の原因は
軽い椎間板ヘルニアと言われて
ホッとして、
みんなで笑いながら
食事したのにな…と思うと
さみしかったです。
診療所のある建物は
「〇〇荘」と看板が掲げられた
長屋のようなアパートでした。
2人で外階段を上り
呼び鈴を押すと、
懐かしいO先生が
出て来られました

お部屋に通されると、
なんと、
先生と看護師さんの他にも
5人の事務員さんが
ギュウギュウにいらっしゃり、
壁にズラリと並んだ
パソコンに向かって、
みんな一心不乱に
何かを入力していました



「えぇっ





先生たった1人なのに
なんでこんなに
事務員が
いるのだろう…。
これはいくらなんでも
雇い過ぎなのでは❔」と
思ったものの、
もちろん口には
出しませんでした。
ごく小さな
台所兼食堂兼応接室のテーブルで
私と妹はO先生と向き合って
よも山をお渡ししてから、
厚くお礼を申し上げました。
ナーシングホームでも
前にお話したけれど、
私の長男にそっくりな為
母だけでなく私も妹も
O先生に家族のような親近感を
抱いていたこと、
母は毎週
O先生にお会い出来るのを
それは楽しみにしていたこと、
先生が後押しして下さったお陰で
母を埼玉や伊勢など
あちこち旅行やお出かけへ
連れて行く事が出来たこと、
旅行先でも母は一生懸命
先生へのお土産を
選んでいたこと、
ナーシングホームでも
訪問診療がO先生になり
母がとても喜んでいたこと、
それなのに、
あっという間に母の容態が
悪くなってしまったこと、
短い間だけど
O先生に担当していただいた事を
母を含む私達3人が
とても感謝していること、
亡くなったのが夜中だった為
死亡宣告が別の先生になり
最後にお会い出来なかった事が
心残りだった為、
無事四十九日を終えて
色々落ち着いた事から
お礼のご挨拶に伺った事を
お伝えしました。
先生も、
先生の亡くなったおばあちゃんが
母とそっくりだった為に
母に勝手に親近感を
抱いていたこと、
母の部屋に家族の写真が
たくさん飾られていて
幸せそうだなぁ、
いいなぁと
思って下さっていたことを
あらためて私達に
話して下さいました。
30分はあっという間で
先生が往診にいらっしゃる前に
私達は診療所を出ました。
おそらく、
母がもしも私達に
亡くなった後も
話す事が出来たなら、
きっと緩和ケア病棟と
ナーシングホームと
O先生には、
きちんと何かお礼が
したかっただろうと
思うのです。
そして、
私と妹はあまり接点が
なかったけれど、
母の腰の異常を
レントゲンで見つけて下さった
T整形外科のT先生は、
母にとっては
引っ越してから
ずっと通っていた
かかりつけの病院の
信頼していた先生でした。
T先生にも、
今月中にきっと
2人でお礼に伺おうと
思います。
母の介護と看取りを通じて
お世話になった
すべての方に、
心から感謝いたします。
短い間でしたけれど
皆さんのお陰で
最期まで母と濃密で
悔いのない楽しい時間を
過ごす事が出来ました。
母はもうこの世には
おりませんが
母にかわって母の分も
お礼を申し上げます。
本当に
ありがとうございました。