食器棚の上に置いてあった

「ママの宝物箱」と

蓋の横に大きく書かれた箱を

私と妹が開けると、


そこには私達三姉妹が

母に書いた手紙や

母の似顔絵と

母の日や誕生日のカード、


私達が子供の頃

作っていた豆本と、


甥や姪が小さな頃のお絵かきや

姪っ子からの手紙やカードが

納められていました。



妹はずっと母と

一緒に住んでいたので

最近の手紙は

ほとんどありませんでした。



離れて暮らしていた私は

電話で用が足りない時は

手紙を書いていたので、


そのうちの何通かが

入っていました。



姪っ子は毎年

誕生日プレゼントを贈る時

いかにも女の子らしく

素敵なカードにメッセージを

母に書いていたようで、


姪っ子からのカードは

可愛いピンクのリボンで縛って

まとめられていました。



私はそれを見て、


「手紙をこんなに喜んで

大切にとって置いて

くれているなら、


用件だけの

そっけないものでなくて

もっとたくさん優しい言葉で

ママに手紙やカードを

書いてあげれば良かった…ショボーン」と

激しく後悔しました。



母はふと

さびしくなると

リビングの椅子に座って、


この箱を開けて

眺めていたのでしょうか。



たった1人の親が

生きているうちに、


もっともっと

愛を伝えたら良かった…悲しい



私は離れていて

あまり会えない分

元気な頃の母とは

ちょこちょこ連絡を

していましたが、


それはいつも近況報告や

普段の会話ばかりで、


ついぞ優しい言葉や

いたわりの言葉は

かけて来ませんでした。



プレゼントを贈ったり

旅行に連れて行ったり

母への感謝は折に触れて

伝えていたつもり

だったけれど、


母は私が元気で

立派に活躍しているだけで

幸せで嬉しいのだろうと

勝手に解釈して

自分に言い訳していたけれど、


今となっては

もっともっと母に

出来る事があったなぁ…と

悲しいです悲しい



元気な時の母からは

余計な事を言われて

腹を立てたり

その事に文句を言ったりして、


私はずっと

そんなに優しい娘では

ありませんでした。



亡くなってから

一生懸命写経したり

お線香をあげたり

お墓参りしたり

空に話しかけたり

する前に、


生きているうちに

もっともっと母に

「ありがとう」

「大好きだよ」

「愛してるよ」

「大切に思ってるよ」

「長生きしてね」と

声をかけたり、


手紙に書いて送っていたら

良かったのに…と

思うけれど、


時既に遅しでした。



そういえば、


母も祖母が亡くなった後

私達と同じような事を

よく言っていたねと

話しながら、


私と妹は

母の宝物箱の蓋を閉めて

また前のように

食器棚の上に

しまいました。



私も、

息子達が作った工作は

今も使ったり

捨てずに飾ったり

しているけれど、


男の子だから

手紙やカードはほとんど

もらった事はないけれど、


あちこちにしまったものを

箱に集めてみようかなと

ふと思いました。



そして、

生きているうちに

夫や息子達には、


「ありがとう」

「大好きだよ」

「愛しているよ」

「大切に思っているよ」

「どうか幸せでいてね」と

意識して声をかけようと

思います。



ママ、


ママの宝物は

私達だったんだね。



すごく嬉しいよ。



ありがとう。



ずっとわかってたけど、


ずっとわかってたんだから、


ママも私も

恥ずかしがらずに

お互い言葉にして

大好きだって、


ちゃんと伝えれば

良かったね。



私はママの

宝物だって、

思い出させてくれて

ありがとう。



私は

ママの宝物の私を、

これからも

大切にするね。



ママ、

生まれてきてくれて

私を生んでくれて

ありがとう。



私、

パパとママの子供で

良かったよ。



私、

毎日パパとママに

お手紙を書くようなつもりで

生きてるよ。



ありがとう❗



また会おうね❗