床がやっと姿を現し
足を踏み込めるようになった
6畳間で、

私と妹が次に着手したのは
押し入れの上下の段両方に
ギッチリと詰め込まれた、
段ボール箱でした。


押入れは奥行きが深く
高さもあるので、

出しても出しても
まだ奥があり
底知れない感じでした。


たった1人の住まいなのに
こんなにたくさん、

ここには一体何が
入っているのだろう❔と
私達は思っていました。


箱を開くスペースがないのと
6畳に暖房がなくて
寒いので、

私達はここからは
段ボール箱を少しずつ
リビングに運び込みながら、
作業する事にしました。


もっともっとスペースがない時は
廊下に1つずつ
段ボールを出して、

流れ作業で
ゴミ袋に詰め込んでは
歩いて外に捨てていたから
寒さを感じなかったのかな…と
ふと思いましたキョロキョロ


押し入れの段ボールは
何十箱もあったのですが
なんと、
ほぼ全部が
布と洋裁道具でしたガーン


様々な素材と色の
大量の布、

様々な素材と太さと色の
縫い糸と刺繍糸と
ミシンの上糸、

それぞれの上糸に対応した
ミシンの下糸と
大量のボビンケース、

様々な形と色の
リボンやレースや
縁かがりテープ、

様々な大きさと色の
ボタンやファスナー、

様々な太さと長さの
大量の縫い針とまち針と
少しのミシン針、

洋裁用の裁ちばさみや
糸切りバサミや
くけ台や指ぬきに
袖や襟を形作る為の
丸や長丸のアイロン台、

それから、
一体何枚あるのか
見当もつかないほどの
大量の型紙でした。


内訳としては
布がほとんどで、

布に関しては
どんなに小さな布も捨てずに
端切れを大きさごとに
きちんと分類して、
「マスク用」
「パッチワーク用」などと
書いてありました。


母は東京の女子大学に
進学するつもりで
高校の進学コースにいたのに、

当時2人の兄の大学に
お金がかかっていた為、

祖父から頭を下げられて
女は学問よりも
手に職をつけなさいと言われ、

他の友達に対して
とても恥ずかしかったけれど
大学進学を諦めて、

親のすすめに従い
洋裁学校に行ったそうです。


母は銀座の洋装店にも
勤めていた事があったそうで、

私達が子供の頃は
自分と私達の服は
全部手作りで
とびきりお洒落なものを
着せてくれました。


子供の頃は
それがどんなに嬉しく
誇らしかった事か…照れ


驚いたことに、

それらの布の中には
私達が子供の頃
作ってもらった服や
母が着ていた服の
懐かしい裂地の余りが
たくさん混じっていた
だけでなく、

これから縫おうとして
買い込んだ布や、

おそらく昨年の同窓会に
着ていこうとして
しつけ糸がついたまま
後は縫うだけという布も、
ありました。


それぞれの型紙には
同じものを作る時に
すぐわかるようになのか、

縫った服の切れ端が
結びつけられていましたびっくり


若い時の母は
大学に行けなかった事が
とても悔しく、
また大きなコンプレックスでも
あったようです。


子供の私に何度も何度も
「あなたは〇〇大学に行って
東京でも海外でも
好きな所へ行って
女でも男に負けずに
バリバリ働きなさい。」と
呪文のように言っては、

自分が果たせなかった夢を
私に託そうとしていました。


しかし、
母は晩年になると
心境に変化が出たらしく、

朝ドラの
「カーネーション」を見ながら、

「ママは大学に行くより
洋裁学校に行って
本当に良かったと思ってる。

洋裁学校の技術は
一生ものだし、
今もものすごく
役に立ってるもの。」と
言っていました。


母は孫達にも
バッグや服や小物を作っては
プレゼントしてくれたし、

同窓会に出かける時も
毎年自分で縫った
素敵で新しい服を着て、
出かけていました。


押し入れに入っていたのは
母の生涯を通じて
趣味であり誇りであり
生きがいだった
洋裁の道具と、

私達にとっても
ものすごく懐かしい布たち
だったのです。


「ねぇ、お姉ちゃん、
これ、
どうする❔キョロキョロ」と
妹が途方に暮れたように
言いました。


姉妹の中で私だけは
母から手ほどきを受けて
スーツが自分で縫えるくらいには
洋裁が出来るのですが、

私が産んだ子供達は
残念ながらみな男で
ティシャツとズボンしか着ないし
すぐドロドロに汚すから、

私はめっきり洋裁をしなく
なっていました。


「そうだねぇ…キョロキョロタラー


少しなら
もらってもいいけれど、

こんなに大量だと
正直しまう所が
全然ないよ…。」と
私は言いました。


妹も
「そうだよねぇ…。
うちもだよ…キョロキョロ」と
言いました。


布はフリマに出す事も
考えましたが、

何しろ大量なので
2人で考えた結果、

姪っ子が母から
パッチワークと刺し子を
教わっていたので、

パッチワークに使えそうな布だけ
より分けて妹がもらい、

後の布は残念ながら
捨てる事にしました。


糸類とボビンケース
リボンやレースやボタンなどの
その他の洋裁道具は
買うと高いし
布ほど大量ではないし、

今後私や姪っ子が
ミシンで使う可能性が
なきにしもあらずと
いうことで、
とっておく事にしました。


私はボタンつけやら
裾上げやらは
今もよくするので、
縫い針と縫い糸を
少しもらう事にしました。


それから私と妹は
「◯(姪っ子)のワンピース」
「●(私)のサマードレス」と
書いてあり、

布が結びつけてある型紙を
それぞれ一揃いずつもらい、
あとの型紙は
捨てる事にしました。


母と私達の人生を
楽しく幸せに彩ってくれた
それらに感謝しながら、

私達はゴミ袋にそれらを詰めて
ゴミ捨て場を何度も往復して
2人で持って行きました。


最後にゴミ捨て場を
振り返る時は
ちょっと涙が出ました。


ママと洋裁道具さん達、

本当に本当に
今までありがとう。


もらった愛は
生きている間は絶対に
忘れないからね❗