玄関を入ってすぐ右の
納戸兼物置の6畳間は
収納ケースがわりの段ボールが
足の踏み場もないほど
積まれていて、

中に一体何があるのか
私と妹も
そして母本人にさえも、
判然としない状態でした。


私達が手前の段ボールを
片っ端から開けていくと、
その中身がとうとう
姿を表しました。


割り箸とおしぼり、

ブランドものの紙バッグ、

色とりどりの
包装紙と紐、

新聞のチラシを折って
卓上のゴミ箱にしたもの、

綺麗なもらいものの手ぬぐいと
綺麗なもらいもののタオル、

盆暮れの配りものの
うちわと扇子、

街で昔よく配っていた
ポケットティッシュ、

猫に食べてもらえなかった
様々なキャットフード、

大量のタッパー、

鍋とフライパン、

使わない皿や花瓶、

パン焼き器2台、

みんなの予定が書かれた
何年分ものカレンダー、

賞味期限の切れた
開けて食べなかった食べ物と
開けてもいない食べ物たち、

肌色と黒のストッキング、

姪っ子と甥っ子の
色鉛筆やお絵描き道具、

姪っ子と甥っ子が書いた
字や絵が書かれた紙、

姪っ子と甥っ子の
ガールスカウトと
ボーイスカウトの制服と用具、

姪っ子と甥っ子の
小さい頃の服や帽子、

姪っ子と甥っ子の
ゲーム器とゲームソフト、

スーパーでもらった
大量のビニール袋、

その他いろいろ。


何かに使えると思い
なんとなくたまったものと、

ふるさとを引き払う時
妹が捨てたのに
母がわざわざゴミ捨て場から
拾って来たらしい、

姪っ子と甥っ子の
子供の頃のものが、

まるでタイムマシンのように
1つ1つの段ボールから
きちんと分類されて、
出て来ました。


どちらかというと
母のものとは
言えないようなものばかりが、
ゾロゾロ出て来ました。


祖父母も生前は
紐や紙や布は始末よく
どんな切れ端でも
捨てなかったなぁ…と
思いながらも、

なんでここまでと思うくらい
大量にためにためた
ものたちでした。


ゴミ袋はどんどん
玄関に積み上げられ、

ある程度たまると
私達はせっせと
ゴミ捨て場に往復して
運びました。


妹の住む県は
ゴミ袋に入りさえすれば
どんなに大量でも
粗大ゴミではなく、
燃えるゴミまたは
燃えないゴミとして
無料で出せるそうです。


東京は厳しくて
プラスティックも金属も陶器も
一辺が30センチ超えたら
粗大ゴミ扱いになって
有料です。


妹の住む県が
ゆるくて良かった…と思いながら
私と妹はひたすら
ゴミ袋を作り続け、
バンバン捨て続けました。


私達は燃えるゴミや
燃えないゴミの日の
前日になると
母の部屋に集まり、
毎日のように
作業を続けました。


作業は何日も
続きました。


アパートのゴミ捨て場には
毎回ゴミ袋が何十袋も
うず高く積み上げられ、

本当に全部
持って行ってくれるのかと
ハラハラする私をよそに、

毎回大量のゴミは
収集されていきましたびっくり


肌色と黒のストッキングは
妹と2人でもらいました。


大量のタッパーは
母が妹達の為に
お惣菜を作っては
持たせていた名残りでした。


タッパーのうち使えるものは
2人でもらいました。


パン焼き器の1つは
妹のものだったので
妹が引き取りました爆笑


姪っ子と甥っ子の服と
お絵かき道具や書いたもの、
ゲームとスカウト用品も
妹が引き取りました。


それでやっと床が出て来て
中に入れるようになり、
パンパンの押し入れと箪笥が
ようやく姿を現しました。


まだこれでも
6畳の片付けは半分も
終わっていませんでした。


後から思い返しても
6畳間を片付ける時が
もっともカオスでした。


でも、
混沌の一番奥に
私達にとっては
一番大切なものが
しまわれていたのです。


もしも業者さんに頼んでいたら
中を全く見ずに
全部捨てられても
文句は言えなかったので、

自分達でやって
本当に本当に
良かったです。