今から書くことは
前に上のブログにも
一部だけ書いておりますので、
よろしければ併せて
ご覧下さい上矢印


エンゼルケアが終わって
看護師さんが部屋を出ると、

入れ替わりにすぐさま
小さなお葬式の方が
部屋に入って来ました。


母のエンゼルケアは
1つ前のブログに書いた理由で
ものすごく手間がかかった為、

初めから終わりまで
1時間近く費やしました。


申し訳ないことに
小さなお葬式さんは
その間ずっと外で
待っていてくれた訳です。


担当の方は
全身にアトピーが
ありました。


実は我が夫も
アトピーです。


寝不足や不規則な生活は
お肌に悪いのに、

葬儀社のお仕事って
本当に大変だなぁ〜と
その時思いました。


ちなみに、
エンゼルケアの間は
夫は4階の休憩所で
待っていたそうです。


小さなお葬式さんを
本当に長い間
待たせてしまった事を
私達はお詫びしましたが、

担当の方は
怒ったり不機嫌な素振りは
一切見せずに、

母に手を合わせた後
白くてツヤツヤした
絹のような素材の、

縁にレースのついた
大きなハンカチのような布を
母の顔にかけました。


その瞬間、

担当の方が
私達におっしゃったように
母は急に「ご遺体」に
なってしまって、

私達とは永遠に
隔てられたような
感覚がして、

私の胸は
ウッと詰まりました。


担当の方は終始恭しく
けれど手早い動作で
母の両手を組み合わせて
胸の上に置き
白くて綺麗なお布団に
母を寝せると、

次にサッと
大きな寝袋のような
同じく白くてツルツルした
ご遺体バッグを取り出して、

あっという間に
布団ごと頭から母を
すっぽりとくるんで、
重いだろうに軽々と
1人で手際よく
母をベッドからストレッチャーに
移しました。


そして担当の方から
自宅に行くから
死亡診断書のコピーと
貴重品だけ持って、
今すぐここを出ますと
言われました。


次々と起こる展開に
気持ちがついていけない私は
戸惑ってしまい、

ナースステーションへ行って
何もかも置きっぱなしで
会計もせずに
このまま自宅に帰っていいのか
聞きに行きましたが、

看護師さん達が
後で落ち着いた時に
ゆっくり片付けに来てくれれば
それでいいのだと
口々に私におっしゃったので、

やっと私も納得して
妹と夫と一緒に
言われた通り死亡診断書のコピーと
手回り品だけ持ち、

看護師さん達に
もう1度ご挨拶をして
部屋を出ました。


私達がモタモタして
小さなお葬式さんに
申し訳なかったな…と
今になると思いますが、

入所する時に
説明を受けた通り、

ナーシングホームは
24時間看護と介護つきの
賃貸マンションのような
形態の施設なので、

空っぽで何もない部屋に
介護ベッドからテーブルから
箪笥から椅子から
母の家財道具を
1から全部運びこんで
母と一緒に引っ越しした
私達にとって、

母の部屋は
母の終の棲家という
感覚になっていたし、

看護師さんや
介護ヘルパーさんと
母の事を相談しながら
ずっと一緒に毎日
お世話していたから、

短い間だったけれど
そこを離れるのは
母との生活の痕跡を
何もかも置き去りにして
夜逃げするようで、

すごく名残惜しくて
さみしい気持ちがしました。


それから私と妹は
めいめいの車に乗り込み、

トラックがビュンビュン走る
真夜中の道路を、

母を載せた白いバンを
見失わないように
一生懸命走りました。


母のアパートに着いて
白い袋に包まれた母を
ストレッチャーごと
母の部屋に運びこんだ時、

ほんの10日前の元日に
ストレッチャーに乗って
帰って来た母は
あの時はまだ
生きていたのにな…と
私は悲しかったです悲しい


ファスナーを開けて
母をバッグから出して
母がいつも使っていた布団に
母を寝かせると、

担当の方は
白木の小さな机を
慣れた手つきで組み立て
枕飾りをあっという間に
整えてくれました。


そして上のリブログに
詳しく書いた通り、

火葬にするまでに
やらなければならないことと
やってはいけないことを
詳しく教えて下さった後、

明日また別の者が
うかがいますと仰って
帰って行かれました。


時計を見ると
もう夜中の3時でした。


お仕事とはいえ
運転から何から
本当に大変なことです。


今日の担当の方が
明日はお休みがもらえて
ぐっすり眠れたらいいなと
私は思いました。


妹は家にいったん帰って
寝るということで、

私と夫は
母の箪笥から
母のパジャマを借りると、

母のいる和室の
すぐ隣のリビングの床に
布団を敷きました。


夫に先に寝てもらう時
夫は
「お母さん、
おやすみなさい。」と言って
すぐにストンと
眠りにつきました。


私は母の顔の上の
布を外して、

母の顔を眺めながら
だんだん夜が明けていくのを
見ていました。


ふと、
末期の水のしきたりを
していないな…と
気づきましたが、

私と妹は毎日せっせと
口腔スポンジに水を浸しては
母の口と唇が乾かないように
湿らせていたから、

もう十分だな…と
思いました。