今日の内容は
上のリブログと
内容が重なるところと
違うところがありますので、
よろしければ
併せてお読み下さいニコニコ上矢印


私と妹は
母が6回目の息をするかと
しばらく待ちましたが、

いくら待っても
母が息をしないので、

「ママ、
◯んじゃったね…」と
どちらともなく
言いました。


その後、妹は
妹の夫に電話しました。


すると、
妹の夫はお酒を飲まずに
連絡があったら
すぐに車で駆けつけようと、
待機していた事が
わかりましたびっくり


後になって妹は
「今日ママが亡くなると
わかっていたら、
みんなを家に
帰さなかったのに…ショボーン

「下顎呼吸をし始めたら
すぐ亡くなると
わかっていたら
◯ちゃん(夫)に電話したし、
そしたら◯に目に
間に合ったのに…」と
何度も言っていました。


私は私で
「今日ママが亡くなると
わかっていたら、
子供達に駆けつけて
もらったのにな…ショボーン」と
後から何度も思いました。


入所した12月22日は
あんなに元気だったのに、

1月9日には
訪問診療のO先生から
「余命は
あと大体1週間」と言われ、

ナーシングホームの
チーフ看護師のKさんからは
「あと1、2日」と
11日に言われたのに、

まさかその日のうちに
亡くなってしまうなんて、

あまりにあっけない
お別れでした悲しい


いつかは人は
必ず亡くなるのだと
わかってはいても、

どんなに容態が悪くても
たとえ寿命であっても、

◯はどんな時も
残される者にとっては
突然だし、
理不尽なのだなと
思いました。


それでも私達にはこの後
次々とやることがあり、
呆然としている暇は
ありませんでした。


妹が夫に電話している間に
私はナースステーションに行き、

チーフ看護師のKさんに
「今、
母が亡くなりました。


Kさんのお陰で妹も私も
母の◯に目に会うことが
出来ました。


本当にありがとうございました。」と
丁寧にお礼を言いました。


Kさんは
「そうですか…。
お悔やみ申し上げます。


そう言っていただけると
嬉しいです。


〇〇さんのお部屋には
いつも誰かがいらっしゃって、

写真やお花も
たくさん飾ってあって、

楽しそうだな、
仲が良くていいなと
思ってました。


最後までたくさんの人に
来ていただいて、
〇〇さんもさぞ
お幸せだったと思います。


私達こそ
色々学ばせていただきました。
ありがとうございました。


医師にはこちらから
連絡しますね。」と
おっしゃいました。


次に私は
小さなお葬式さんに
母が亡くなった事を
連絡しました。


3番目に私は
いとこの住職に連絡して、
葬儀の日にちを21日で
押さえました。


(母の葬儀と会食は
母の実家のお寺を
まる1日使用する為、
葬儀の候補日と段取りについては
いとこと前もって
細かく打ち合わせしていました)



夜の12時過ぎに
ホームと提携している病院から
若い男性の当直医さんが
やってきました。


母の瞳孔と脈拍を見て
聴診器を当て終わると、
当直医さんは時計を見て
死亡を宣告されました。


その後、
死亡届を書いていただき
当直医さんが部屋を出られるまで
5分もかかりませんでした。


明らかに亡くなっているのに
この為にわざわざ
夜中にお運びいただいて
なんだか申し訳ないなぁ…と
思いつつ、

私達がずっとお世話になっていた
訪問診療のO先生ではなかったのが
いかにも残念でした真顔


母の公的な死亡日は
医師の死亡宣告によって
1月12日の0時21分となり、
保険の申請もすべて
1月12日と記入することに
なりました。


(私達が認識する命日とは
1日違うので、

小さなお葬式さんに注文した
お位牌も
いとこに頼んだ
お墓に刻む銘文も、

後でどちらも危うく
間違われそうになりました泣き笑い


当直医さんが部屋を出ると、

部屋の外で
ずっと待機していたらしい
小さなお葬式さんが、
すぐ入れ替わりに
入って来られました。


はじめましてのご挨拶をした後
小さなお葬式さんは
私達のかわりに朝
市役所に死亡届を
出して下さるとおっしゃり、

火葬などの手続きに必要だから
何枚かコピーを取って
後でお渡ししますと言い残して
いったん部屋を
出ていかれました。


するとまた今度は
入れ替わりに
まるで高校生かと思うような
若くて綺麗で
可愛らしい看護師さんが
部屋に入って来られて、

「今からエンゼルケアをします。
よろしければ一緒に
なさいませんか❔」と
おっしゃったので、

私達は「はい。
ぜひやりたいです。」と答えて
3人でエンゼルケアを
始めましたニコニコニコニコ


実は、
私はエンゼルケアをしてみて
はじめて気づいて、
ショックを受けた事が
ありました。


続きます。