6日のお昼に
ソフト食を6割食べたきり、
母は次の日の7日になると
何をどうしても
食べ物を飲み込む事が
出来なくなりました。
6日夜はメイバランスを
125cc飲ませたものの、
7日になると
メイバランスさえも
飲み込むのが難しくなり、
2さじ飲ませるのが
やっとでした。
つまり、7日から9日までの
まる3日、
母はずっと絶食状態で
ほんの少しの水分しか
摂れませんでした。
水分さえも
摂ると喉にひっかかるのか
ゼロゼロといつまでも
音を立てるだけでなく、
母はその後必ず
消耗するのか
アーアー言ったり
ハァハァと苦しむので、
それを見ているだけで
どうすることも出来ない私達は
もどかしくて
苦しくて、
たまりませんでした
さらに、
年が明けてからは
母の部屋に行くと
便臭が気になるように
なりました。
4日に介護ヘルパーさんが
様子を見に来た時に
オムツを私の前で開けたので
一緒に覗いてみると、
なんと、お尻の間に
みっちりとポロポロウンチが
挟まっているのが
わかりました
テイッシュで取るのを
思わず横で手伝いましたが、
ギチギチに詰まっていて
取るのがとても
大変そうでした
その時以来便臭は
感じなくなっていたのに
7日あたりから
また気になるように
なりました。
洗濯物を回収したら
パジャマも便臭がしたので
どこかにウンチが
ついているのかな❔と
部屋とパジャマを
点検しましたが、
原因は結局
わかりませんでした。
消臭剤を買ってきて
部屋に置いたものの、
母が亡くなるまで
匂いはずっと
消えませんでした。
(亡くなった日にようやく
理由が判明しましたが、
それは後日しっかりと
ブログに書く予定です)
食事は何日も手つかずのまま
それでもソフト食を3食
出してもらっていましたが、
1食ごとに
料金がかかるので
O先生が帰った後
妹と相談して、
9日の夜からはもう
食事を出していただくのを
ストップしました。
母に食べ物を食べさせるのを
諦めるという決断は
私と妹にとっては
とても辛いことだったけれど、
これももうどうしようも
ありませんでした。
こうして私達は
身を切られるように辛いことを
1つずつ
1つずつ
受け入れざるを
得ませんでしたが、
9日の夜になって
私達が母の介護を始めてから
もっとも辛かった事が
起こりました。
続きます。