1月9〜12日は
妹の仕事が忙しかったので
私が4日連続で
母の所へ行くことに
なっていました。


9日は終日
母は私の呼びかけにも
ほとんど反応が
ありませんでした。



けれど、脈拍も体温も
酸素濃度も、
後は全部いつも通りで
安定していました。


(他の方の場合は
よくわからないのですが、

実は、母の場合
亡くなる直前まで
脈拍も体温も酸素濃度も
異常はなく、
安定していました)


8日は母が急に
かなり大きめの声で
「喉が乾いた。
何か飲みたい」と
ハッキリ言ったそうですびっくり


そこで、
(それを聞いて私は
えぇ〜っとびっくりしましたが)
妹は母になんと、
お茶をコップで
飲ませたそうです。

すると、
母はなんとお茶を
100ミリリットル
ゴクゴク飲み干したそうです❗びっくり


ところが、
お茶を飲み干した後
母は消耗したのか、
アーアーと言って
ひどく苦しそうに
なってしまったそうですガーン


「お腹すいた」とも
母は言ったそうですが、
食べ物はほとんど
受け付けなかったそうです。


一体どうしたらいいのか
わからないながらも、

水でも食べ物でもいいから
私は母に少しでも
何か口に入れて欲しくて、

母の顔を1日中見つめて
母が起きるのを
待ち構え続けました。


そして、
今は意識がある❗と
確信出来た時、

目を閉じたままの母に
声をかけながら
何さじかだけ、
トロミをつけた水を
飲ませる事に成功しました。


けれど、
水を飲ませた後は
ゴロゴロと
喘鳴のような音が
いつまでも続いたので、

母が誤嚥していないか
私は気が気ではなく、

その後も母の様子を
目を皿のようにして
見守り続けました。


ナーシングホームに
入所してからというもの、

私と妹は毎日
在宅で母を看取らなくて
本当に良かった…と
話していました。


妹と2人で看病していても
こんなにも、
絶え間ない不安と
母の命への重い責任に
毎日苛まれるのです。


私も妹も
陰部を含め母の体を洗ったり
オムツを替えたりする事は
全く苦では
なかったのですが、

親の介護というのは
体の負担というよりも
心労が大きいのだと
私達は在宅介護を通じて
気づいたのです。


ナーシングホームでは
3時間おきに
看護師さんが来てくれて
検温をしてもらったり
吸引をしてくれた後
母の事を報告したり、

悩みを相談したり
不安なことについて
アドバイスをしてもらったりして
母の状態を
医療や介護のプロの方と
共有出来るし、

いざという時は
24時間すぐに
呼んだら来てもらえるので、

本当に有り難かったし
最期まで
とても心強かったです。


お昼に看護師さんがいらした時
いよいよの時は
みんなで泊まり込んでいいか
私が相談すると、

「大丈夫ですよ。

いよいよの時は
ビーチチェアとか布団とかを
持ち込んで寝泊まりする方も
いらっしゃいますし、

段ボールを敷いて寝ている方も
中にはいらっしゃいましたから、

何でも持ち込んで
構いませんよ。


夜間でも、
もし少しでもおかしかったら、
すぐ連絡しますから
安心して下さい。」と
言って下さいましたおねがい


看護師さんが吸引すると
母の顔は苦しそうに
歪んだけれど、

それでも目を覚ます様子が
ありませんでした。


喉や鼻の吸引をしても
母が目を覚まさないなんて
その日が初めてだったので、
私は悲しくなりました悲しい


吸引が終わった後も
母の息が急に
止まってしまったら
どうしようと
まんじりとも出来ず、

私はずっと母のことを
見つめていました。


食事が一切取れないまま
午後になり、
訪問診療のO先生が
いらっしゃいました。


母は先生が呼びかけると
「はい」と言ったのですが、
その後は終始反応が
ありませんでした。


私がO先生に
6日は結構
話せましたと言うと、

O先生は
「今の〇〇さんの状態だと
起きて話すだけでも
ものすごく消耗します。


もう今は
〇〇さんは痛みも苦しみも
ない状態ですから、
薬は無理して飲ませなくても
大丈夫です。


(痛み止めの)貼り薬と、
必要な時は
坐薬だけでいいです。


水分も、
無理して飲ませなくて
大丈夫です。


尿管も外すと熱が出るから
このままにして、

点滴も苦しみを増すから
何もしないで、

このまま自然に任せるのが
一番です。」と
おっしゃいました。


そして、先生は
「このまま目が覚めずに
一言も話さないまま
亡くなる可能性もあります。」と
おっしゃいました。


そこで私は、

「そうですか…。

実は、母と私達は
母と同じがんで
祖母を看取っているのですが、

祖母は昔から母に
『人が亡くなる時
一番最初は
真っ暗闇になる。

その瞬間は
ものすごく怖くて
心細い思いをする。

だから、
人が亡くなる時は
怖くないように
その手をずっと
握り続けてあげないといけない』と
言い聞かせていたそうです。


祖母はその通りに
祖父が亡くなる時も
曽祖母が亡くなる時も
ずっと家で看取って
手を握り続けていました。


祖母が亡くなる時は
母がずっと祖母の手を
握り続けていました。


だから、母の最期の時は
祖母の時と同じように
私と妹で母の手を
握っていたいので
ぜひ教えてほしいのですが、

先生は、
母はあと何日くらい
もつと思いますか❔」と
O先生に尋ねました。


すると、先生は
「このままの状態だと、

はっきりとは言えませんが
数値が落ち着いているので
大体あと1週間くらいだと
思います。」と
おっしゃいました。


そう言われた瞬間、

「やっぱり、
そうなんだ…」と
私は体全体が
突然雷に撃たれたようになり、

ショックでビリビリ痺れて
その場から動けなくなるような
強い衝撃で、
涙が出て来ました。


私はO先生に
「わかりました。


言いにくい事を
教えていただいて、
本当にありがとうございます。


これで私達も先々の
目通しがつきます。


今まで、
私の長男と先生が
そっくりなのもあって、
私も母もみんなで
O先生にすごく親近感を
勝手に持っていました。


母はO先生にお会い出来るのを
毎週それは
楽しみにしていました。


今日は先生とお話出来なくて
きっと母も
とても残念がっているだろうと
思います。


また来週お会い出来るかも
しれませんが、
どうか母の分も
お礼を言わせて下さい。


短い間でしたが
今まで本当に
お世話になりました。
ありがとうございました。」と
泣きながら言って
深く頭を下げました。


するとO先生は
「こちらこそ、
ありがとうございました。


〇〇さんから
孫みたいと言われて
こちらも勝手に家族みたいに
思っていました。


御宅に伺った時も
たくさん写真が飾ってあって
あちこちに旅行されていて、
仲いいんだな、
いいなぁと思って
ずっと見ていました。


〇〇さんは
ずっと幸せだったと
思いますよ。


大丈夫なら来週も
また来ますし、

もし亡くなれば
昼間なら死亡宣告も
私が来ます。


夜間は提携の病院から
別の医師が来ますが。」と
おっしゃいました。


私達こそ、

訪問診療の先生がO先生で
本当に幸せだったと
思いながら、

O先生を見送りました。


結局、
これがO先生の
最後の診療に
なりました。


9日の話は
まだ続きます。