1月4日に私が母の所に
行った時と、
1月5日に妹が母の所に
行った時と、

2日連続で母は
何度も何度も
「今日は家に帰らないで」
「今夜はここに泊まって」と
私達に頼んだのです。


それなのに、

私も妹も
自分の家族や
自分の仕事の方が
大切だから、

いまわのきわの
母の願いを聞かずに
母を振り捨てて、

一目散で家に帰って来て
しまったのです。


そしてその事が2人とも
とても辛くて、
私と妹は電話しながら
家で2人して
おんおんといつまでも
連日泣きました。


父の時は
あまりにも異常な◯に方で、

私達は
あまりにも若くて
無力だったから、

ショックが強すぎて、

悲しんだり
泣くことさえ
ずっと出来なかったのです。


父亡き後
私達のたった1人の親として
悲しい時も楽しい時も
ずっとそばにいた
掛け替えのない母を、

今こうしてじっくりと
姉妹2人で甲斐甲斐しく
毎日お世話する事になり、

一緒に気持ちを分かち合える
相手にも恵まれて、

生まれてはじめて私達は
しっかりと親の看取りが
出来ただけでなく、

やっとまっとうに
親の◯を悲しむ事が
出来たのですけれど、

それがこんなにも
辛く苦しいのだということを
初めて知って、

2人してびっくりして
激しく狼狽えていました。


この頃の私達は
母の前では泣かないように
耐えていたけれど、

家に帰ると毎日
どうしようもなく
悲しくて苦しくて、

おろおろと、
呆然と
ただただうつけのように
泣いてばかりいました。


すると5日の早朝、
母が赤と黒の絨毯の上に乗っていて
「ママ、
もう引っ越し済んだから。」と
私に言う夢を見ました。


私はもう
いても立っても
いられませんでした。


6日は私の担当でした。


車で昼前に着くと
ちょうど看護師さんが母に食事を
食べさせ終えた所でした。


プレートを見ると
母はお昼を6割ほど食べていたので
「良かった…おねがい」と
私はホッとしました。


ナーシングホームに入所した当初は
母は痛みはないものの
体がいてもたっても
いられない様子で
絶えず体を動かしてほしいと
私達に頼むので、

私達はひっきりなしに
ベッドを上げたり下げたり
体位を左にしたり右にしたり
していました。


お正月以降
ガクンと容態が悪くなった母は
もうほとんど言葉を
発しなくなりました。


今はもう
何々してほしいという事も
全然言わなくなりました。


スプーンが持てなくなって
足が動かなくなって
首が動かなくなって
体をほとんど
自分で動かせなくなった母は、

ものを飲み込むだけで
とても労力を使って
疲れてしまうようで、

食事の後はしばらく
寝ていました。


起きている時も
ぼんやりと
上を見ているだけの事が
多くなりました。


母が顔を動かせなくなり
目がよく見えなく
なってからは、

私達がすぐ横にいても
しょっちゅう母が
「どこにいるの❔」と
話しかけるので、

母が目を覚ましている間は
私達は中腰になって
母の顔を覗きこむようにして
私達の顔を
至近距離で見えるように
していました。


母が午後目を覚ましたので
私はトロミをつけたお茶を
スプーンで飲ませた後、

今日は必ずしようと
心に決めていた事を
実行することにしました。


私は母の顔の上に
顔を近づけて、
母の手を握りながら
「ママ、聞こえる❔」と
母に呼びかけました。


「聞こえるよ。」と
母が私の目を見て
言ったので、
私は話しはじめました。


「ママ、

ママはまだまだ
元気だけれど、

私も毎日は
ここに来られないから、

ママにずっと言いたかった事を
ママがまだ元気なうちに
今日は言うね。


自分が大人になってから
思い出すと
すごく嬉しくて、
感謝していた事が
たくさんあるのに、

全然ママに
お礼を言ってなかったから、
今日はそのことを
言いたいの。


子供の頃、
たくさんお洒落なお洋服を
作ってくれて、
綺麗なリボンをつけて
可愛い髪型にしてくれて、
ありがとう。


先生や友達にいつも褒められて
恥ずかしかったけど、
嬉しかった。


お誕生パーティや
クリスマスパーティに
毎年ご馳走を作ってくれて
楽しいゲームを考えてくれて、
ありがとう。


子供の頃それがすごく
楽しかったから、
私も◯子もそれを継承して
子供達に今も真似して
同じようにやってあげてるよ。
ママのお陰。


私が学校で鉄棒が出来なくて
困ってたら、
すぐに大工さんに頼んで
お庭に鉄棒を作ってくれて、
本当にありがとう。


恥ずかしくて
放課後に練習出来なかったから、
ものすごく助かった。


藤棚の下にハンモックを
吊ってくれて、
ありがとう。


あそこ、風が通って
涼しかったし、
私、夏休みにあそこで
本を読むのが気持ち良くて
大好きだった。


芝生でよく
ジンギスカンしてくれて
花火もしてくれて、
ありがとう。


すごく美味しかったし
楽しかったから、
お陰でラム肉が
大好きになった。


海に行く時いつも
冷たく冷やしたきゅうりと
梅のおにぎり作ってくれて
ありがとう。
すごく美味しかった。


ママ、泳げないのに、
私達の為にわざわざ
連れて行ってくれて
パラソルの下でひたすら
私達の事待っててくれたんだなって
大人になってから
やっとわかった。


私が家庭科で
足踏みミシンの車を
右手でうまく回せなくて
困っていたら
足踏みミシン買ってくれて、
本当にありがとう。


ママは業務用ミシンがあるから
足踏みミシンなんて
全然いらないのに、

左利きの私が困らないように
わざわざミシンを買ってくれたお陰で
家で練習する事が出来て、
ものすごく嬉しかった。


たくさん本を買ってくれて
ピアノを習わせてくれて
英語を習わせてくれて
家庭教師をつけてくれて
中学受験の塾にも入れてくれて
留学もさせてくれて、
本当に本当に
ありがとうね。


子供の頃は正直
しんどかった時もあったけど、

お陰で、
いい高校に行けたし
いい大学に行けたし
いい会社にも行けて、
本当に恵まれていたと思うし、

今は感謝してる。


お嫁に行く前に
家事をきっちり仕込んでくれて
ありがとう。


なんで私だけって
思ってた時もあったけど、

人より早く結婚しても
なんにも困らなかったのは
ママのお陰だよ。


大学の時神戸にみんなで
車で遊びに来てくれた時は
本当に嬉しかった。


大阪でお好み焼き食べたり
お琴を弾くのを聴いてもらったり
スイスシャレーでチーズフォンデュ食べたり
北野異人館でドレス着て
みんなで写真撮って、
有馬温泉にもみんなで泊まって
楽しかった。


私の子供達のことを
すごく可愛がってくれて
ありがとう。


一升餅のお祝いをする為に
積み木や三輪車と一緒に
大阪にわざわざ来てくれて
ありがとう。


転勤の度に
引っ越しを手伝ってくれて
いつも本当に有り難かった。


七五三の着物も用意してくれて
美味しい物をいつもたくさん
食べさせてくれて
ハワイとかあちこち
旅行に連れて行ってくれて、

ログハウスで花火したり
バーベキューしたり
クリスマスパーティーしたり、
本当に有り難かったし、

ママのお陰で楽しかったし
ずっと幸せだった。


ママに縫ってもらった服や
ママに編んでもらった服は
私、着なくなっても
今も全部捨てずに
大切にとってあるからね。


ママは私達の為に
いつも色んな事を考えて、
ものすごくたくさんの事を
してくれたよね。


お陰で子供の頃は
すごく幸せだったし、
毎日とっても楽しかった。


パパがいなくなって
すごく悲しくて
大変だったはずなのに、

ママはそんな事
なんにも感じないくらい
私達のことを愛してくれて
ここまで育ててくれて、
本当に本当に
ありがとう。


ママに会うといつも
すごく気にしてる事を
言われるから
腹が立てちゃう事が多くて、

これまでは
素直に気持ちを言う機会が
なかったけど、

本当はママには
いつもすごく感謝してたし、
ママの事本当に
大好きだよ。」と
私は母の目を見ながら
母に言いました。


涙がボタボタ出て
母の顔に落ちたので
それを私は
ティッシュで拭きながら、

もう思い残す事が
ないように、

ママといて嬉しかった事や
幸せだった事や
楽しかった事を他にも挙げて、
たくさんありがとうを
言いました。


母は私に
「ママも同じだよ。」と
かすかな声で言いました。

母の手を
私がギュッと強く握ると、
母も私の手を
強く握り返してくれました。


私はさらに母に
「本当は、ママが退院する時
私も◯子も
家に帰してあげたかったの。


でも、家だと
この間みたいに誤嚥したり
急に息が出来なくなったり
胸が苦しくなった時に
すぐにお医者さんや
看護師さんに
駆けつけてもらえないから、

いざという時
私達では対応出来ないから、
この施設を選んだの。


ここなら、
24時間看護師さんがいて
何かあったらすぐに呼べるし
対応してくれるから。


私達には家族がいるから
今は夜は
家に帰るけど、

もし本当に
ママが具合が悪くなったら、

私も◯子もその時は
必ずここに泊まり込んで
ずっとそばに
いるようにするから、

絶対に1人では
いかせたりしないから、

だから今は
夜は家に帰るけど
どうか許してほしい。」と
言いました。


母は黙っていたけれど、

私を見る目は優しくて
元気だったママみたいに
キラキラしていたから、

私達の気持ちは
わかってもらえたと
私は思いました。


父の時は
私達はお礼も言えなかったし
さよならと言えずに
父を一人ぼっちで
◯なせてしまいました。


母が生きているうちに
母にたくさんお礼が言えて
私は幸せ者です。


続きます。