母が亡くなってから
もう3ヶ月も
たってしまいました。


去年の今頃は
母はいたって元気でした。


足腰が痛い原因が
がんの骨転移だなんて
私達は全く思わず、

母と一緒に
母の日のプレゼントの杖を
選んでいたのにな…と
さみしくなります悲しい


書くとどうしても思い出して
悲しくなるので、

現在の事を書いて
エネルギーチャージしながら
母のことを忘れないうちに
書き留めています。


介護の記事をお探しの方は
お急ぎでしょうに、
読みにくくて
ごめんなさいショボーンアセアセ


夫と東国三社参りに
行ってきました🎵ニコニコ


東国三社へは
まだブログを書いていない頃から
何度も夫婦で
参拝しております。


今回は
夫が千葉に転勤したので
千葉の一の宮へ
ご挨拶する為と、

関東と日本の無事を
祈る為に
お参り致しました。


まずはいつも通り
「鹿島立ち」という事で、
鹿島神宮様から
お詣りしました。


http://g.kyoto-art.ac.jp/reports/1307/#:~:text=%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%AE%B6%E3%81%AE,%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%A5%AD%E7%A5%80%E3%80%8F%E7%99%BD%E6%B0%B4%E7%A4%BE)%E3%80%82


上矢印上の記事によれば、
鹿島神宮と香取神宮とは
上賀茂神社と下鴨神社のように
元は上社と下社で
ペアになっており、
物部氏が
奉斎していたそうですびっくり


「大鏡」によると、
中臣氏(後に名前を
藤原に変えます)は
鹿島神宮の神官を務めた後
都にやってきたという、
ポッと出の氏族でした。


春日大社の御祭神は
本来は
天児屋根命だったのですが、

藤原氏が武甕槌大神と
経津主大神の2神を勧請して
天児屋根命の上に
2神を立てて、
自身の氏神に
してしまったそうです。


物部氏との勢力争いに勝った
藤原氏が
一族の正統性を主張する為に、

より格の高い神を
他の氏族から乗っ取って
元から自らの氏神だったように
塗り替えてしまったのが、
ことの真相だそうです。


天皇陛下を傀儡として
一族が権勢を
ほしいままにするためしの、
何と多い事でしょうか…ショボーンタラー


よろしければ上の記事を
下に貼りましたので
お読み下さいませ。











お昼は
これもいつもの通り、
鹿島神宮様門前の
鈴章さんのナマズ料理を
いただきました🎵照れ



なまずの薄造りと
なまずの煮付けです。



なまずの天ぷらと
なまずのカルパッチョです。



日曜だけど遅い時間だからか
空いていました。



出先で顔ハメがあれば
必ずします❗てへぺろ



鹿島神宮様は杜が深いのに
なぜかとても明るく、

非常に清々しくて
本当に気持ち良いから
大好きです❤照れ










木もすごいです❗🌳




神門は残念ながら
修復中でした。




気持ちいい…照れ



秀忠公が造営された社殿です。


願いが叶ったお礼を
申し上げた後、

夫がこの度千葉に赴任した事と
夫がつつがなく
千葉での勤務を果たせるよう
祈念するとともに、

千葉および関東
および日本が戦災や天災に遭わず
民がみな幸せでありますよう
どうかお守り下さいと
お願いいたしました。


内部が暗くて
わかりにくいけれど
結婚式をされていました❗ニコニコ
下矢印



夫と無事お礼参りと
あらためての祈願が出来て、
ホッといたしました❤おねがい



私の写真から
鹿島神宮様の清々しさが
皆様に伝わると
いいのですが…。






要石にもお参りして
どうか地震が
起きませんようにと
お祈りしました。




鹿島と香取の神様が
巨大な石棒で
鹿島の要石でなまずの頭を、
香取の要石でなまずの尾を
抑えているそうです。



神池に向かいます。



毎回夫がなぜか
ここでたくさんの写真を
撮影してくれるのが
嬉しいやら
恥ずかしいやらです爆笑アセアセ


沸かして飲んで下さいと
いうことですが、
実はいつも
ちょっと飲んでいますチュー



龍のようにうねる木が
カッコいいです❗龍



お水が澄んでいて
とっても綺麗です…❤



神池の横に
お食事出来る所があり
いつも入ろう入ろうと
思うのですが、
まだ一度も入った事が
ありません。


次こそ入ってみたいです。



最後に奥宮に
お参りしました。
徳川家康公のご造営です。





無事鹿島神宮様に
お参り出来て、
ホッといたしました🎵おねがい



鹿島神宮様の杜は
本当に素晴らしい杜です。





それでは次のお社に
お参りに向かいます。


続きます。