お雑煮の大根や人参を
すり潰して
おだしで伸ばしたものでしたが、

母はストレッチャーを
少し起こして
みんなと食事を摂り、

家族で無事
お正月を迎える事が
出来ましたおせちえーん


ホームでは母は
いつも緑茶はいらないと
言っていたのに、

この日は「飲みたいな」と
珍しく母が言ったので
私はひと匙ずつ
母に緑茶をあげて、

母はなん匙か
飲む事が出来ましたお茶おねがい


私は甥っ子達に
お年玉をあげたり、

次男はいとこ達と喋ったり
みんなでおせちを囲んで
和やかなお正月を過ごす事が
出来ました照れ


これが母と過ごせる
最後のお正月だと
そこにいるみなが
暗黙のうちにわかっていたから、

誰の胸にも
万感の思いがありました悲しい


猫達は最初どうしても
母に近づこうとは
しなかったのですが、

しばらくすると
いつも母のベッドの上で
寝ていた時のように
ストレッチャーに飛び乗って、

そろそろと母に
体を寄せて来ました。


母は名前を呼びかけながら
すべての力を振り絞って
猫達を撫でていました。


私は「良かった」という
ものすごく嬉しい思いと、

母が家で私達と過ごすのは
これが最後なんだという
強い悲しみとで、
涙が出ました。


みんなで笑いながら
泣きました。


母があまりにも
しんどそうなので
結局私達は
2時過ぎくらいに
福祉タクシーさんに電話して、

4時の予定を1時間早めて
3時過ぎに母を
ナーシングホームに送りました。


甥っ子達は1人ずつ
母にハグして、
妹と片付けをしてくれました。


妹と甥っ子達は夕方
お姑さんのマンションに
お年始に行く予定なので
ナーシングホームには来ず、

福祉タクシーの後ろには
私のマツダ2君と、
次男と酸素濃縮機を載せた
妹の夫のエスティマが
続きました。


妹の夫は酸素濃縮機を
ナーシングホームに下ろすと、
バイトに行く次男を駅まで
送って行ってくれました。


母の個室からホームの入口までは
かなり距離があり、
19.5キロの酸素濃縮機を運ぶのは
私にはキツかったです…泣き笑い



ナーシングホームに着いた母は
とても疲れてしまったようで、
すぐ寝てしまいました。


私は福祉タクシーさんに
往復のタクシー代の
17000円を払うと、

母との旅行の写真を
プリントした
我が家の年賀状を取り出して、
母を見守りながら
宛名書きをしました。


来年の年賀状は
喪中欠礼なのだと
わかっていたから、

せめて母と一緒に
みんなで笑っている年賀状を
最後に作りたかったし、
元気な母の様子を
送りたかったからです。


すると、
緊急地震速報が
ギュイーンギュイーンと
不気味に鳴るが早いか、

4時10分に震度4くらいの
地震が起きましたびっくり


長い間ユラユラと
まるで船のように揺れたので、

私は「東日本(大震災)と
同じ揺れだ❗
これは津波が来る❗ガーン
震源はどこだろう❔」と思い、
慌ててテレビをつけました。


そして能登地震の事を知り
戦慄しました。


5時過ぎに看護師さんが来ると
母が起きたので
食事を食べさせました。


5時半に妹から
「大丈夫❔びっくりアセアセ
地震すごかったね❗

長くて気持ち悪くなった。
今、●子(お姑)さんち。」と
ラインが来たので、

「大丈夫ニコニコ

ママ、疲れたのか、
全然目を覚まさなかったの。

緊急地震速報が
あんなにうるさかったのに。」と
私は返信しました。


「ママの血尿どう❔」と
妹からさらに質問が来たので、

私は
「血尿は薄くなってるけど、
それよりも、熱が
37.2度なの。

ご飯はほぼ完食。
薬も飲めたよ。」と
返信しました。


「あちゃー…。

移動する時揺れたから
カテーテルで尿道を
傷つけちゃったんだね…ショボーンタラー


「うん…。
やっちゃったね…ショボーンタラー


「でも、
移動にはリスクがあるのは
ママも私達も
わかっていたし、

猫達に会いたいっていう
ママの強い願いを
叶えてあげられたから、

一時帰宅して
良かったと思う。」


「そうだね。

体調で言えば
ギリギリだったけど、

ほんの何時間かでも
家に帰してあげられて、
本当に良かったね❗ニコニコ


看護師さんも
『◯◯さん、
帰りたいって何度も
言ってたもんねー』って
ママに話しかけてたよ。


熱が出ているのは
尿道の炎症反応かも
しれないってことで、
座薬を入れてもらって
様子を見ることになった。」


「そうなんだね。

じゃあ明日と明後日は
私が行くから
ママに伝えてね。」


「わかった。
よろしくね。」


私が夜入れ歯を洗い
母の手を握って
「明日とあさっては
◯子が来るからね。
しあさっては
私が来るね。

おやすみ。」と言うと、

母は私の手を
握り返してくれて
声は出さないけれど
手でバイバイと
してくれたので、

私は家に帰りました。