母の元日の一時帰宅では
数々のアクシデントが
発生しましたショボーン


福祉タクシーさんは朝9時に
ナーシングホームに
母のお迎えに来てくれましたが、

看護師さんが一時帰宅前に
色々と見てくれた結果、

元日の当日になって
母が鼻から自発呼吸が
既に出来なくなっている事が
判明したのですガーン


レンタルしていた酸素ボンベは
自発呼吸が出来れば
7〜8時間もつけれど、

自発呼吸が出来ない場合は
1〜2時間しかもたないと
看護師さんから言われましたガーン


酸素ボンベのレンタル会社に
問い合わせると、
元日だから届けてくれるのに
3時間かかると言われました。


さらに、
酸素濃縮機は精密機器で
高額だから運べないし触れない
(責任が取れないから)と
福祉タクシーさんから
言われましたガーン


困った妹は
母のアパートで待機していた私に
連絡して来ました。


相談の結果、
妹の夫が次男を車で拾って
19.5キロある酸素濃縮機を
次男が車に積み込んでくれる事に
なりました。


私の夫は風邪で来られず
妹の夫は夜更かしした甥っ子達が
どうしても朝起きないので
この時妹の家にいました。


妹は腰が悪くて
酸素濃縮機が持てない上に
酸素濃縮機は大きくて高さもあり
妹の軽自動車にも
我が家のマツダ2君にも
載らないので、

妹の夫がエスティマで
次男を迎えに来て
若くて元気な次男が
酸素濃縮機を運び、
倒れないよう車内で
濃縮機を支えた訳です。


母が酸素ボンベをつけて
ようやく福祉タクシーに乗り込むと、
妹の軽と
酸素濃縮器を載せたエスティマが
後ろに続きました。


このすったもんだで
結局母が家に着いたのは
11時くらいに
なってしまいました。


妹の夫は
次男と酸素濃縮器を下ろすと
甥っ子達を迎えに行く為
また家に戻りました。


ストレッチャーは業者さんで
取り扱いがなく、
レンタルすることが出来なかったので
母の一時帰宅の為に私達は
リクライニング車椅子を
レンタルしていました。


リクライニング車椅子は
一番フラットになるものを
ホームで色々試した上で
レンタルしたものの、

完全にはフラットにならない上に
なぜか座面がプラスティックで、
もたれかかると
とても硬いものでしたが
どうしようもありませんでしたショボーン



やっとのことでアパートに着くと
母の下にバスタオルを敷いて
福祉タクシーさんと次男と
私と妹の4人で母を持ち上げ
ストレッチャーから車椅子に
移そうとしたのですが、

リクライニング車椅子には
あらかじめ毛布を敷いたり
工夫したにもかかわらず、

母は「痛い痛い」と
蚊の鳴くような声で
ずっと言い続けて
動かない手を必死で動かし続け、
どうしても車椅子に載せる事を
嫌がりました。


みんなで顔を絶望的に見合わせ
万事休す、
もうホームに戻すしかないと
話がなったところで、

福祉タクシーさんがご厚意で
ストレッチャーを1日無償で
貸して下さると申し出て
下さったのです❗びっくり


地獄に仏とは
まさにこの事でしたえーん


福祉タクシーさんがストレッチャーを
貸して下さらなかったら
母の一時帰宅は
叶わなかったし、

妹の夫と次男が
この時いてくれなかったら
酸素濃縮機を運んだり
私と妹だけで
母を持ち上げるのは
かなり困難でした。


もっと言うと、
母が自力で鼻呼吸が出来ていないと
看護師さんが当日
気づいてくれなかったら
帰宅して1〜2時間で
母の酸素血中濃度は
限りなく落ちていたでしょう。


もしそうなった場合は
母をホームに戻すには
救急車を呼ぶしかなく、

運が悪ければ
元日が母の命日になっても
おかしくありませんでした。


いざという時の為に
頓服を処方して下さり
一時帰宅を後押しして下さった
訪問医療のO先生や
ホームの看護師さんや
福祉タクシーさんや
家族みんなの協力がなければ、

母の一時帰宅は
到底実現出来ませんでした。


元日の母の事を思い返して
あらためて家族含め
母の事を支えて下さった
たくさんの方々に
感謝の気持ちが
湧いてきましたので、

ここに再度
書き留める事にいたします。


その節は本当に
ありがとうございました。


そして、
元日は他にも
アクシデントがありました。


まだ料理を食べさせる前
妹が母に吸い飲みで
水を飲ませた時、
気管に水がつまったようで
母が激しくむせたのですガーン


母がずっとむせ続けるので
私はあせって母を抱き起こして
母の背中を何度もたたき、

そこからもしばらく
咳き込み続けた後、
やっと母の咳き込みは
おさまりました。


他の家族も皆立ち上がって
母の周りを囲み、
一時は騒然としました。


母は「死ぬかと思った」と
後で妹に言ったそうです。


その後母の背中は
しばらく痛かったようですが
私と妹の肝は
すっかり縮み上がったし、

その時はまだ痰吸引器を
レンタルしていなかったので
母にもし自分で咳き込む力が
残っていなければ、
やはり母の命は
その時尽きる所でした。


この後からは私達は
水にもお茶にも必ず
トロミをつけるようにしましたし、

吸い飲みではなく
スプーンで一口ずつ様子を見ながら
慎重にあげるように
なりました。


私と妹は父を見送り
祖母を在宅で看た後
ホスピスで看取りました。


今また母を在宅介護した後
緩和ケア病棟を経て
ナーシングホームで
看取りましたが、

元日の数々のアクシデントや
トラブルを通じて、

私と妹は
いざという時に
すぐに看護師さんや
介護ヘルパーさんを呼べる
ナーシングホームの有り難さを
痛感したし、

介護度が高い方を
在宅介護されているご家族の
緊張感と孤独と不安を
身を以て体感しました。


人生には時には
苦難が起こりますが
その苦難は必ず
乗り越える事が出来るし、

苦難を通じて初めて
人は他の立場の人を
思い遣る心や
感謝する心が
培われるから、

苦難は実は不幸ではなく
人を磨いてくれる
有り難い恩寵なのだと
実感しています。


元日の午後は
ホームに戻ってからも
まだまだアクシデントと
困難が続きました。


続きます。