夫が片付けしている間
私は暇なので
1人で横浜の街を
散策することにしましたニコニコ



素敵な建物〜❗


何だろう❔と思ったら
バス停の名前で
判明しました爆笑




裁判所の入口の
アーチの造形が
いいですね🎵おねがい



昭和5年建造でした。
夫によると
関東大震災でこのあたりは
壊滅的な被害を
受けたのだそうです。



楠の木が
素晴らしいなぁ〜と思い
立ち止まってみたら、
横浜公園でした。


山下公園に次ぐ大きさで、
国有地の無償貸与を
受けているそうです。




大きな被害が
あったのですね…。


ここは
港崎(みよざき)遊郭の跡地に
外国人と日本人の双方が利用出来る
公の施設として造園され、
「彼我(ひが)公園」と
呼ばれたそうです。


公園は外国人居留地と
日本人市街地を隔てる
防火道路(日本大通り)と一緒に
計画されたそうです。


明治末期に横浜市へ管理が移り
昭和初期に関東大震災から復興し
終戦後はアメリカに接収され、

昭和27年に返還された後は
昭和50年代に
横浜スタジアムが出来るなど
三度の大きな改造が
行われたそうです。


関東大震災の際は
多くの市民が避難して
防災拠点としても
実際に役に立ったと
いうことです。



銅像があったので
近づいて見てみました。



イギリス人技師のプラントンさんが
原設計をして、
神奈川県が造営したそうです。



プラントンさん、
ありがとうございます🎵おねがい



プラントンさんは
元々日本の灯台を
建設する為に
招聘されたそうです。



最初は外国人が主に
使用していましたが
明治32年に居留地制度が
廃止されて、

居留外国人が管理していた
横浜クリケットクラブ以外の土地は
横浜市に管理が移ったそうです。


横浜市は芝生のグラウンドを
野球場にしたり
日本庭園を造営して桜を植えた結果
たくさんの市民が訪れる公園に
なったのだそうです。



関東大震災では
横浜公園に避難したお陰で
多くの人々の命が助かり、
一時は公園内に
罹災住宅や仮説庁舎が
建てられていたそうです。


昭和4年の復興記念の奉迎式には
昭和天皇もご来臨された他、
ベーブ・ルースや
ルー・ゲーリックが来日して
日本チームと対戦したそうです。



終戦後に米軍に接収され
ゲーリック球場と
名付けられていた球場は
返還後に当時の平沼市長によって
平和球場と改称されましたが、

昭和50年代のプロ野球誘致の際
武道館と音楽堂が撤去され、

昭和53年に大洋ホエールズの
ホームグラウンドとして
横浜スタジアムが完成し、

チャペルがあった場所には
日本庭園が整備されたそうです。



本当だ、
横浜スタジアムがある❗びっくり



もう少ししたら
このチューリップも
一斉に咲くのね…❤チューリップ黄チューリップ赤チューリップ紫チューリップピンクチューリップオレンジ



横浜スタジアムは
船のようなデザインでした。🚢





早咲きの鮮やかな桜が
ちょうど満開でした目がハート桜






鳩さんが集団で
餌を探していました。🕊



日本大通りです。



さて、
この後どこへ行こうかと
考えて、

中華街へ
行ってみることにしました。




中華街は
横浜スタジアムと横浜公園の
すぐ近くでした❗爆笑



続きます。