最近は母のことを

思い出して泣くことは

大分なくなりましたが、


折に触れて心の中で

母に語りかけています。



元々、

朝はお茶を供えて

ご先祖様や祖父母や父の

冥福を祈った後、

近況をこまごまと

報告していました。



そこに今は母が

加わりました。



昼間とか夜に

母にふと電話したり

ラインしたり

したくなった時には、

今は心の中で

話しかけています。



元々父には

心の中でずっと

語りかけていましたから、


今は語りかける対象が

増えた感じですねおねがい



昨年の12月22日に

母はナーシングホームに

入所しました。



ナーシングホームに入所したら

日中は交替で

母の所で過ごそうねと、

私と妹はあらかじめ

相談して決めていましたニコニコ



そして23日は

私が母の所へ行く

担当でした。



緩和ケア病棟に

母が入院してからというもの、

私達は毎日午前11時30分に

母に面会していました。



そのお陰で母は

午前中は私達がいない事に

すっかり慣れたようでした。



実際、

緩和ケア病棟でも

ナーシングホームでも、


午前中は朝食を取ったり

検温などのバイタルを測定したり

看護師さんや介護ヘルパーさんが

次々いらっしゃって

色々とする事があるので、


午前中の母はいつも

割合忙しくしていたのです。



私も妹も午前中に

家族を送り出したり

家事を終えてから

母の所へ向かうルーティンが

無理がなかった為、


亡くなる間際には

朝早めに母の所に

駆けつけていたものの、


亡くなる何日か前までは

私達は毎日

午前11時半に

母の個室を訪れていました。



緩和ケア病棟と同じく

ナーシングホームも

入口のインターフォンで

母の名前を伝えてはじめて、

入口を開けて下さいます。



その際検温と消毒をするのも、

自分の住所と名前と

利用者と利用者との続柄と

滞在時間をノートに書くのも、

同じでした。



部屋の入口は鍵がかからない

引き戸タイプの扉なのも

同じでした。



23日に私が

母の個室の扉を開けると、

母はくうくうと

よく寝ていました。



緩和ケア病棟では

面会が15分しかなかったので

面会時に母が寝ている時は

わざわざ声をかけて

起こしていましたが、


ナーシングホームでは

もう時間を気にする必要がないので

私は起こさずに

母が自然に起きるのを

待ってみました。



よく考えてみると、


母がアパートにいて

私達が在宅介護をしていた時、

母は昼寝をすることは

あまりありませんでした。



母はアパートにいる時は

日中はずっと車椅子に座って

私達と他愛ない話をしたり

座って出来る家事を

手伝ってくれたり、

テレビを観ていました。



緩和ケア病棟に入院してからは

脳転移の症状が進んで、

母はテレビを観ても

内容が頭に

入らなくなりました。



ラインが打てなくなり

手先の作業も出来なくなって、

食べる事と話す事が

唯一の出来る事であり

母の楽しみになりました。



緩和ケア病棟に入院してから

母は日中は

ウトウトしている事が

増えたんだな…と思いながら

私は無心に寝ている母の顔を

覗きこみました。



その時、なんとなく

「アレッ」と思ったので、

母の寝顔を

写真に撮りましたびっくり



そして

「なんか、

ママの顔の雰囲気が

昨日と変わった気がする。」

と言って、

妹にラインで送りました。




母はがんになってからは

食べても太れずに

10キロ以上

痩せてしまったのですが、


若い頃はとてもスリムで

歳を取ってから

ふくよかになっていたので、


母が痩せても私や妹は

それほど違和感を感じたり

する事がなく、


かえって、

スマートだった昔に

戻ったようだなと

感じていました。



ところが、

この日母を見ると、


なんだか顔が黄色黒く

なっているように

感じられたし、


手や頬や目の下が

グッとこけた反面、

首の下が急に弛んだように

見えたのです。



妹に写真を送ると

妹も、

「本当だ❗びっくり



なんか、変な話、

病人っぽくなってる。



病人は病人だけど、

ちょっと前まで見た目は

普通だったのに…。」と

言いました。



これって、

もしかして

◯相なの…❔と

私はフッと

思ったけれど、


あわててその考えを

頭の中で打ち消しました。



続きます。