楽しかった事や

幸せな事を

たくさんブログに書いたら、


母の事を思い出して

書くエネルギーが

やっとチャージされたので、

続きを書いてみます❗ウインク



またしんどくなったら

中断しながら書きますので、

ご了承下さいね。



母が緩和ケア病棟を退院する日と

ナーシングホームに入所する日は

同じ12月22日でした。



それまで緩和ケア病棟では

1日15分しか

母と面会出来なかったので、


ナーシングホームに入所すれば

クリスマスもお正月も

ずっと一緒に過ごせるね❤と

私達は母と一緒に

喜んでいました。



この時点では母は

がん性骨折で

歩けなくなっていたし、


脳転移の影響で

排泄が自力では

出来なくなっていたし、


スマホも電話をかけるしか

出来なくなっていたけれど、


まだ私達と

普通に話す事が出来て

普通に食事する事が出来て、


筋力が落ちないようにと

リハビリさえしていました。



ここからあっという間に

どんどん体調が悪くなり

それから1ヶ月もたたないうちに

亡くなってしまうなんて、

この時は夢にも

思っていませんでした。



退院の為に私達は

事前にストレッチャーごと

母を寝たまま運べる

福祉タクシーを

手配しました。



そして私と妹は

それぞれ車で緩和ケア病棟に

入所する荷物を持って

9時の約束で

迎えに行きました。



ナーシングホームの個室は

洗面台以外何もないので

机や椅子や服やタンスなど

本式の引っ越しのように

荷物を搬入する必要があり、


私と妹は前の日に

母の部屋に行って、

家財道具を妹の車のワゴンに

積み込みました。



ナーシングホームで

母の最期を看取る覚悟は

していましたので、


家財道具を運ぶ時は

ログハウスを引き払って

母をアパートの今の部屋に

引き取った3年前と

同じくらい侘びしく

さみしかったけれど、


なにしろ日にちがなく

上の妹夫婦とのやり取りもあり

とても慌ただしかったのと、


何しろ引っ越しですから

オムツやアルコールや

入所に必要な

細々したものを買ったり

やる事が本当に

たくさんあって、


お陰で泣いたりせずに

2人で作業が進める事が

出来ました。



退院の日もやっぱり

緩和ケア病棟に入る事は

私達は出来なくて、


9時に来てと言われたのに

控室のような狭い部屋で

結局2時間くらい

2人で待たされ、


最後の診察やオムツ交換や

会計などがすべて終わり

11時過ぎになってやっと

ストレッチャーに載せられた

母に会えました。



母の着替えの洋服や靴も

用意してあったけれど、

寒いし大変なので

結局パジャマに上着を

羽織らせて

上に毛布をかけるだけにしました。



母が私達を見た時

ちょっと不安そうな目を

していたので、


私と妹はストレッチャーの横を

看護師さんと一緒に歩きながら

なるべく明るく楽しい調子で

話をし続けました。



病院の外に出ると

母はあっという間に

ストレッチャーごと

待機していた黒いバンの

福祉タクシーに載せられました。



福祉タクシーには運転手さんと

付き添いの方とお2人

いらっしゃるので、


私と妹は母に

「後についていくからね」と

声をかけて、


急いで駐車場で

それぞれの車に乗り込み、


福祉タクシーの後を

一生懸命追いかけました。



この時は、

それからすぐ3週間後に

あっけなく母が

亡くなってしまい、


母が白い大きなバッグに

包まれて、


小さなお葬式さんの

白いバンに載せられて、


私と妹が車で真夜中に

どうか私達を

おいて行かないでと

母の後を一生懸命

車で追いかける事に

なるなんて、


私達は

思いもしませんでした。