母の事の続きを
書く予定ですが、
まずは鎌倉旅行の事を
全部書いてしまいますね🎵
長谷寺様を後にした私達は
大仏様に向かって
山が迫る北側へと
歩きました
大仏様の由来については
大仏様の横の説明書きにあった
創建者の稲多野局様の事が、
なぜかホームページにも
ウィキペディアにもどこにも
書かれていないのです
私はどこへ行く時も
その場所の現在よりも、
創建した方の強い思いの方に
心を惹かれます。
大仏様の真横に書かれている事が
一番正しいのだろうと思います。
上のブログではその由来を
詳しく紹介しております
何度も書きませんから、
ぜひ上のブログを
ご覧下さると嬉しいです❤
「『ご〜くら〜くじ〜ざ〜か〜
こ〜えい〜け〜ば〜
は〜せか〜んの〜んの〜
ど〜うち〜か〜く〜』って、
歌のまんまだね❗
ほんと写実的だね❗」と言って、
私は今回も夫に
歌ってみせたのですが、
夫はどうしても
その歌は知らないと
言うのです
同級生で小学校唱歌なのに
そんな事ある❔と
私は納得いかないのですが、
知らないものは
仕方ないです
唱歌「鎌倉」は
歌詞が物悲しくて、
そこが私は子供心にも
とても好きでした
文部省唱歌に限らず
昔ながらの日本の歌は
歌詞も旋律も物悲しくて、
それこそが天災の多い
諸行無常のやまとごころなのかしらと
ちょっと思いました。
このブログを書くにあたり
YouTubeで検索して
全歌詞を歌ってみたら、
小学唱歌なのに
なんて素晴らしい歌詞なの❗と
あらためて感動しました
鎌倉への入れ込みようが
我ながら、
引くほど強いです〜
下は高徳院のホームページで、
説明は簡潔です
下はウィキペディアです。
長いけれど、肝心の
創建を志した稲多野局様の事が、
全く触れられていません。
なんで
稲多野局様のお名前と
日付を刻んだ石碑は
ちゃんと残っていて、
大仏様の横には
稲多野局様のお名前だけでなく
「国家によって
創建されたのではなく
零細な庶民によって
何年もかけて創建された」と
はっきり書かれているのに…
前回来た時と較べて
外国人観光客が
すごく多かったです。
また大仏様にお目にかかれて
生まれて初めて
胎内に入れました事に
感謝いたします。