2月の伊勢旅行の話を
ようやく書き終えたので、

時計を巻き戻して
当時は辛すぎて
心が乱れて書けなかった
母との最期の日々について
書いていこうと思います。


まずは既に書いて来た
昨年11月に緩和ケア病棟に
母が入院するまでの事を、
かいつまんで書くことにします。


昨年の8月8日に母は
末期がんと告知されました。


昨年の春、母は
腰が痛くて歩けないと言って
地元の整形外科を受診しました。


そこでレントゲンを撮影し
腰に膿瘍があると
指摘されて、
紹介状をもらいました。


地元で一番大きい
総合病院の整形外科で
MRIを撮った所、
膿瘍ではなく年相応の
軽度の椎間板ヘルニアだと
言われました。


ロキソニンと湿布を処方されて
毎月MRIを撮ってもらいながら
半年そこに通院しました。


80過ぎて
椎間板ヘルニアと言われたら
誰でも信じてしまいます。


私達はとてもホッとして、
私は母に可愛い杖を送り
腰痛が良くなったら
みんなで旅行に行こうね、

腰に負担がかからないように
ダイエットしようねと、

今から思えば
ひどくとんちんかんな事を
アドバイスしてしまいましたショボーン


7月になって母が
痛くてブラジャーが出来ないと
私達に言いました。


痛みで歩けないとも言われ、
これはおかしいと
母に整形外科で伝えるように
促したところ
同じ病院の内科に回されました。


内科でMRIを撮影した所
末期がんによる骨転移だと
いきなり宣告されましたガーン


突然の事態に
ショックを受ける暇もなく
その1週間後に母は
右腸骨(脚の付け根)を
がん性骨折して、
車椅子生活になりました。


妹と私はあっという間に
親の介護に放り込まれました。


その一方、母は
妹の運転で高速に乗って
県外のがんセンターに通い、
1からやり直しで
1か月かけて、
様々な検査を受けました。


結果、
原発箇所は肺がんで
ステージ4b、
既に脳や背骨や脚など
全身に転移している事が
わかりました。


母のがんは分子標的薬が
効かないタイプのがんだとも
わかりました。


がんセンターのお医者様からは
痛みは薬でほとんど
感じずに過ごせること、

たとえ抗がん剤や
放射線治療をしても
余命が3ヶ月〜半年
延びる程度であること、

抗がん剤や放射線治療で
かえって副作用に
苦しむ可能性があることを
伝えられました。


母は、
もう十分生きたし
痛いのと苦しいのだけは嫌だから
痛みだけは取ってもらうけれど
他の治療はしない事、
延命治療はしない事を
最初から決めていました。


呼吸器内科の先生は
骨折防止の為に
放射線治療を勧めてくれましたが、

放射線科の先生は
治療の見込みのない
骨折防止の為の放射線治療は
認められないということでした。


結局、
分子標的薬が使えず
他に治療法がないということで
渋々放射線科の先生も
放射線を当てる事を
認めてくれました。


左の大腿骨骨頭の
骨転移を止めることで
寝たきりになることを防ぐ為、

左脚の付け根に一度だけ
放射線治療をして
がんセンターへの通院は終わり、
以後は訪問診療に
切り替わりました。


私と妹は
介護サービスを受ける為
母が骨折してすぐに
市役所に行きましたが、
認定を受ける為の面談は
9月まで空いていませんでした。


要介護3と認定されたのは
10月に入ってからで、
申請してから
まる2か月かかりました。


介護認定が正式に出るまでは
みなし認定として
ケアマネさんに相談しながら
介護サービスを受けました。


市役所では
どの介護事業所がオススメかは
一切教えてくれないので、

市役所でもらった一覧表を元に
面談を申請してすぐ、

幼稚園や志望校を探すように
あちこちに電話したり
訪問したりして、
妹が介護事業所を
探してくれました。


ケアマネさんは
幼稚園や学校の担任と同じで
介護や医療はすべて
まずケアマネさんを通すので、
介護事業所と私達が
直接かかわる事は
基本ありません。


どんなに良さそうな
介護事業所でも、
担当のケアマネさんが
良くない場合は
悲劇になると思います。


もちろんケアマネさんを
私達が選ぶ事は
出来ません。


チェンジをお願いすることは
出来るかもしれませんが、
介護事業所はどこも
大変忙しく人手不足ですから
ケアマネさんの人数が
少ない事業所の場合は
チェンジは無理かもしれません。


私達の場合は
最初のケアマネさんが
メンタルを病んで退職したので
担当が途中替わりました。


どちらの方も
良い方でしたが、
お2人ともいつも
とても忙しそうでした。


11月までの母は
骨折以外は元気でしたので、
ケアマネさんから
要介護2と認定される
可能性があると言われました。


介護を受ける側の負担金額は
基本1割ですが、
同じサービスでも
介護度によって
区分支給限度額があり、
使える金額が変わります。


要介護3のつもりで
みなし利用して
後で要介護2とわかれば
遡って足りない分を請求されるし、
その場合は
介護サービスで使える金額を
超過しているので
10割負担になります。


だから私達は
ケアマネさんのアドバイスに従い
10月までは
介護サービスは控えめに
使用していました。


レンタルしたのは
介護用ベッドと手すり、
歩行器でした。


レンタル不可で
購入が必要なのは
お風呂椅子や
ポータブルトイレや
痰の吸引器でした。


ポータブルトイレは
全く匂いが漏れないタイプの
良いものを購入したので
超過した分は全額負担しました。


9月〜10月始めまでは
訪問診療を週1回、
訪問看護を週1回、
訪問入浴を週1回にして、
介護ヘルパーを頼まずに
毎日妹と私とで母の家に通って
家事と猫のお世話を
していました。


介護認定がおりてからは
さらに半日ずつ週2日
介護ヘルパーさんに
家事をお願いする事にして、
母の所へ行かない日を
設けました。


けれど、ヘルパーさんは
短時間ですべての家事をこなす
ものすごく有能な方と、

どうして来たのだろうと
思うような
なんにも家事が出来ない方が
いらっしゃり、
私達は驚きましたびっくり


ケアマネさんからは
利用者がヘルパーさんを選ぶ事は
出来ないと言われました。


そこで私達は
「私は電子レンジでチンしか
出来ません」と言い放った方が
来てもいいようにと、

チンして出すだけの冷凍食品を
たくさん買って、
却って手間とお金が
かかったりもしましたが
自分達の空き時間を
設ける為には
仕方ありませんでした。


それにしても、
介護ヘルパーの資格を取る時は
家事の能力テストは
ないのでしょうか❔


介護ヘルパーになってからでも
今はクックパッドとか
料理動画もありますから
覚えることが
出来るはずなのに…。


結構衝撃でしたタラー


母は11月17日に入院したので
結局介護ヘルパーさんは
1か月だけしか
お願い出来ませんだした。


11月までの母は
歩けない以外は
元気でしたから、

私達は孫も交えて
近くの温泉に旅行したり、

妹と姪っ子と女4人で
伊勢に旅行したり、

母に内緒で連絡を取って
母のお友達に
会いに来ていただいたり、

お出かけに連れ出したりして
母が家に籠もりきりで
退屈にならないように
気を配りました。


11月に入ってから
(不穏の原因については
次のブログで詳しく書きます)
急に母は◯にたいと
夜昼構わず妹に電話をかけて
訴えるようになりました。


夫を自◯で亡くしている妹が
精神的に
耐え切れなくなった為、

レスパイト入院を
ケアマネさんから勧められて
妹と母は総合病院の中にある
緩和ケア病棟で診察を
受けに行きましたが、

母の状態は
そこまで悪くなっていないし
今はベッドが空いていないと
暗にレスパイト入院を
断られました。


再度CT検査を受けて
母の背骨や肩はほとんど
がんに侵されているのに、

不思議な事に肺がんは
進行が止まっていて、
なぜか神経にもがんが全く
転移していない事が
わかりました。


肺の転移が進むと
呼吸苦を取る方法はないので
薬で眠らせるしか
方法がないそうです。


また神経の痛みは
麻薬性の薬でもあまり効かず、
耐え難いものになるそうです。


ここまでがんが進行していて
肺と神経が無事なのは
奇跡だとお医者様から
言われました。


そして同時にお医者様から、

がんという病気は
今は治療も薬も
ものすごく進化していて
患者さんは最期まで
痛みも苦しみもなく
過ごす事が出来るし、

突然亡くなる事はないので
患者さんは亡くなるまでに
しておくべき事を
準備する事が出来るし、

周りの人も家族も
がんということで
会ったり集まったりして
してあげたい事を
十分してあげられるし、

長い間患って
ずっと苦しむ事もないから
◯ぬ原因としては
こんなに良い病気はないのだと
言われました。


人はみな
いずれ亡くなるということは
明白なのですが、

がんは本人と周囲双方にとって
他の病気で亡くなるよりは
よほど良いのだと言われ、
妹と母は
家に戻って来ました。


確かにそうだねぇ、

がんだとわかったお陰で
孫も一緒に旅行に
急いで2回も行ったし、

毎日ずっと一緒に過ごして
あちこち出かけて、

傍からは大変ね、
辛いねと言われたけれど、

実はずっと意外と
楽しかったよねぇと
私も妹も話しました。


そうして、
緩和ケア病棟から戻って来た
その翌週の朝、

母はベッドから
ポータブルトイレに移ろうとして
座った時に突然
動けないほどの激痛に見舞われて
救急車で運ばれ、

恥骨骨折と診断されて
そのまま緩和ケア病棟に
入院しました。


続きます。