実は、
上のブログを書いた翌日から
母の病状は急に、
みるみるうちに
進行しました。悲しい


24時間何人でも
自由に母が家族と過ごせて
24時間医療や介護も
受けられる施設が
ようやく見つかって
入所する事が出来て、

これからはゆっくりと
母と一緒に過ごしながら
施設での生活を
ブログに書いていこうと
思っていたのに、

次々やってくる事態に
母本人も私達も
おろおろしているうちに、

あまりにもあっけなく
母とのお別れを
迎えてしまいました。悲しい


呆然とする暇もなく
私と妹とはそれから
たくさんの事を決めたり
次々色んな手続きを
こなさなくては
いけなくて、

先日ようやく
四十九日法要を終えて、
当面のタスクとしては
やっと落ち着きました。


こんな風に
急に時間が出来ると、
落ち込みやすくなるので
困りますね…。


昨日、
施設の方や病院の方に
お礼に伺った時の
やり取りについて、

施設で起こった事を
まず書き留めておかないと
他の人にはなんのことか
お読みになっても
訳がわからないと
思いましたので、

これからは
ずっと書けなかった
2023年12月22日以降の
施設での母の事を
書いていこうと思います。


先日また夫と次男と
3人で旅行に行って
とても素晴らしかったのに、

その事もまだ
全然書いていません。泣き笑い


3月も夫とまた旅行に
行く予定があるので、
2月のその
家族旅行の事も
書かないと…アセアセ


どんな日々も
かけがえのない、
2度と帰ってこない
大切な瞬間です。


ともすると
大きな悲しみに
隠れてしまいそうな
母との最期の日々にも、

実は大きな喜びや幸せは
ちゃんと存在していました。


何より母は私達と
確かに生きていました。


施設での母と私達の
ささやかな最期の日々を
一緒に生きた証を、

悲しみも喜びも
極上の飴玉を
舌の上で転がして
味わうように、

ゆっくりと記録して
ここにちゃんと
残しておきたいです。