ビリー・ジョエルのコンサートを
24日の夜に
夫婦で見た後、

Mちゃんの旦那様は
仕事があるので
朝の飛行機で九州に帰り、

Mちゃんは私に会うために
わざわざホテルでお昼まで
のんびり過ごして
いたのだそうです。


Mちゃんとはその後も
飛行機の時間ぎりぎりまで
色んな話をしました。


私はふと、

Mちゃんには
私の妹みたいに
亡くなったお母様や
妹さんの事を話せて
思い出を分かち合える人は
いたのかな…、

いたのだったら
いいなぁ…と
思いました。キョロキョロ


Mちゃんと別れた後
私は帰りの電車で
Mちゃんのご家族の事件を
調べました。


私の父の事と違って
報道されていたはずだと
思ったからです。


お母様達の事を話す時
Mちゃんは当時の住所と
マンションの名前を、
すらすらと全部空で
言ったのです。


それは何だかMちゃんが
「忘れないで。
この住所を覚えておいて」と
言いたかったように、

不思議で強い印象を
私に残しました。


住所とマンションで検索したら
なんとニュースではなく
裁判の判例が、
すぐに出て来ました。びっくり


加害者の方は控訴していて、
執行猶予がついていました。


亡くなった方や
怪我をされた方は
Mちゃんのご家族の他にも
たくさんいらっしゃいました。


加害者だけでなく
被害者の名前と住所と
当時の状況が詳しく
載っていました。


とても悲惨でいたましい
事故でしたが、

私は読み進めながら、

Mちゃんのご家族が
確かにそのマンションで
幸せにみんなで
生活していたのだという
事実のことの方を、
なぜか強く
感じました。


加害者には
自◯をはかるような
不幸な事情があった事も
わかりました。


ちょっと迷ったのですが
Mちゃんにリンクを送って
私が感じた事を話すと、

Mちゃんは意外にも
ものすごく
喜んでくれました。


Mちゃんは
裁判の事もその結果も
全く知らなかったそうです。


被害者には加害者の事は
何も知らされないそうで、
その事も私は
驚きました。びっくり


若い頃Mちゃんは
自分で事件の事を
調べようとしたけれど
当時はインターネットがなくて
辿り着く事が出来ず、

一度偶然図書館で
事件の事が
書かれた本を見つけて、
その箇所をコピーした事が
あっただけだそうです。


それからは
調べようとした事は
一度もなかったそうです。


また、
加害者の方は一度
Mちゃんが住んでいた
おじい様おばあ様の
京都の家まで、
謝罪に来た事が
あったそうです。


お父様はお仕事で
Mちゃんは学校にいて
不在だったけれど、

おじい様おばあ様が応対して
その方はお母様達の御位牌に
お線香を上げて
お詫びをして、
帰って行ったそうです。


Mちゃんは
「◯ちゃん、

私達の事を探して
見つけてくれて、

本当にありがとう。


私の母は
◎◎◯子、
私の妹は
◎◎●子と言う
名前でした。」と、

私に急に
お2人のフルネームを
言ったのです。


「うん。
そうだよね。


知ってるよ。


裁判記録に
そう書いてあった。


お母様は◯子さん、
妹さんは●子さんって
言うんだよね。


お2人のお名前は、
忘れないからね。


私、
Mちゃんのお母様と
妹さんに
お会い出来たみたいで、
何だか良かった。」と
私は言いました。


Mちゃんがあの時急に
Mちゃんのご家族の事を
話さなければ、

そして住所とマンション名を
私に言わなければ、

私が事件の事を
もし調べようとしても
手がかりがなくて、

記録にたどり着く事は
出来なかったと思います。


私が記録にたどり着く事が
出来なければ、

Mちゃんは
今まで知らなかった
ご家族の詳しい状況を
その後も知る事は
おそらくなかったでしょう。


私はなんとなく
Mちゃんの後ろには
Mちゃんのお母様と
妹さんとが
いらっしゃって、

一生懸命私達に
頑張って働きかけて、

奇跡のような巡り合わせで
Mちゃんの
お母様と妹さんの記録に
私達が辿り着けるように
してくださったのかなぁと
感じました。


多分私の後ろには
私の父と母が
いたのでしょう。


同じ会社で
たった1年だけ
一緒に働いただけなのに、

ここまで長い間
細々と御縁が切れずに
続いていたのも、

きっと
親を非業の◯で失った後
なんとかやって来た
同じ境遇の者同士、

これまで何も
話した事はなかったのに、

知らないうちに
惹かれ合っていたのかなぁと
思いました。


私とMちゃんとは
今度は関西で
待ち合わせて会おうと
約束しました。おねがい


人って、
たとえ亡くなっても
けして終わりではないし、

いつまでも私達を
見守ってくれています。