元日は妹家族と
私と次男とで
母の部屋に集まりました❤ニコニコ


夫は残念ながら
風邪を引いて咳が出る為
行かれませんでした。ショボーン


母が猫たちに会いたがり
帰りたがっていた為
母をお正月に施設から
一時帰宅させる事を
決断したものの、

実は、
体調的にギリギリまでは
決行出来るかどうか
微妙な所でした。真顔


訪問診療のお医者様からは
移動させる事で
急変する可能性がある事を
覚悟して下さいと
念押しされた上で、

本人のたっての希望であれば、

たとえ容態が悪化する
可能性があったとしても
本人がしたいように
させてあげて下さいと
言われていました。


また、
血中酸素濃度が90切ったら
即刻施設に戻すようにとも
言われていました。


介護タクシーは
年末年始は混み合うので
かなり早めに予約しました。


車椅子とストレッチャーが
載せられる特別車を
手配しました。


酸素濃縮器は精密機器だから
介護タクシーには
載せられないと言われた為、
吸入源を酸素ボンベに切り替えて
母を乗せました。


タクシー内には運転手の他に
介助者1人が付き添ってくれて
家までストレッチャーを
お2人で運び込んでくれて
往復約17000円でした。


距離によっては
もっとかかると思います。
ちなみに施設と母の部屋は
車で15分です。


酸素ボンベは
自分でボンベを吸うモードなら
7〜8時間くらい保ちます。


ところが、
当日になってはじめて
母はもう
自力で鼻呼吸出来ていない事が
わかりました。ガーン


酸素を出しっぱなしにするモードだと
酸素ボンベはあと1時間しか
保たないと
介護タクシーの方から
教えていただきました。


慌てて酸素ボンベの会社に
電話したのですが
お正月で人が足りず、

最短で3時間後にしか
ボンベを持って来てもらえない事が
わかりました。ガーン


そこで急遽
酸素濃縮器を車で
母の部屋に運び込んで、
帰りはまた施設に戻す事に
なりました。


酸素濃縮器は
重さが19.5キロあって
自分で車で運ぶのは
かなり腰にキました…。笑い泣き


母の部屋に着いて
バスタオルを下に敷き
母をストレッチャーから
この日の為にレンタルした
リクライニング車椅子に
4人がかりで移しました。


ところが、
完全にフラットにはならないので、
肝心の母が
どうしても痛がって
車椅子に乗りたがらないのです。ガーン


やっとここまで来たのに
施設にとんぼ返りなのか…と
もうどうしたらいいかわからず
家族みんなでガーンとなって
困り果てていると、悲しい

介護タクシーの方が
なんと、
今日は1日使いませんからと
ストレッチャーを無償で
貸して下さったのです❗びっくり


本当に本当に
有り難かったです。えーん


地獄に仏とは
まさにこの事でした。
お陰で1日母を自宅で
過ごさせてあげる事が
出来ました❗えーん


この御恩は別の機会に
別の方に恩送りを
しようと思います。


伊勢参りした時に
参宮あわびを購入した
伊勢のせきやさんで
妹がおせちを予約して
持ち込んでくれました。


関西風で甘みが少なく
とてもよいお味でした❤ラブ
妹よありがとう❗


私はお雑煮を作って
母が食べたいと言った
本マグロの赤身と中トロと
あと鯛を、
刺し身包丁で自分でさばいて
大皿に盛り付けました。


大根と人参は
先日お見舞いに来て下さった
母の中学の同級生が
送ってくれたものでした。🥕


繊維がなくてきめ細かくて
すごく美味しかったです❗おねがい


妹がお雑煮をすり潰した
大根と人参と里芋を
母は少しだけおつゆと一緒に
食べてくれました。


マグロもすり潰して
少しだけ
食べてくれました。🐟


「飲みたいな…」と言って
みんなが飲んでいた
緑茶とコーヒーも
母はスプーンで
何さじか飲みました。コーヒーお茶


途中、
母が水を飲んだだけでむせて
喉が詰まってしまい、
ものすごく焦りました。ガーン


その後は水もお茶もすべて
トロミをつける事にしました。


みんなお雑煮を
うまいうまいとおかわりして
食べてくれました。
妹の夫はなんと
4杯もおかわりしました❗泣き笑い



母の様子が
すっかり変わってしまったからか
母がか細い声で呼びかけても
近づこうとしなかった猫が、

帰る間際になってから
母を踏まないようにそうっと
いつもの定位置に
やって来ました❗びっくり


ハチワレの雄猫は
いつも母のベッドで
母と一緒に寝ていたのです。猫


すると、
夢かうつつか
ずっと目を閉じたまま
ぼんやりしていた母が、

猫の名前を呼び掛けながら
猫をそっと撫でました。



私達は胸が詰まって
ちょっと泣いてしまいました。


入院してから
ずっと言っていた母の夢が
叶って良かったなって。


滞在中私と妹は
脈拍や酸素濃度を測って
ずっとドキドキの
し通しだったけれど、

孫である子供達は
変わらず賑やかに
ワイワイ話して
母にも声をかけてくれました。


後から聞くと
次男は緩和ケア病棟に
お見舞いに行った時と較べて
あまりにも急激に母が
様子が変わってしまったので、

最初は怖くて母に
近づけなかったそうです。


私と妹が
祖母の看取りで感じた
祖母が少しずつ◯に向かって
変わっていく様子を、

次男や妹の子供達も
母が変わっていく様子を通して
感じているんだなと
思いました。


母の部屋で母と
いつもと同じように
みんなとお正月を
迎える事が出来て、

母がずっと会いたがっていた
猫にも会わせてあげられて、

本当に幸せだと
思う気持ちと、

これが母と過ごす
最後のお正月かと思うと、

声を上げて子供のように
泣きじゃくりたいような
そんな悲しい気持ちと、

甘さと苦さと
2種類の気持ちが
入り混じって、

多分一生忘れられない
1日でした。


終始助けてくれた
妹の夫にも次男にも
妹の子供達にも
感謝しかありません。


どんな事が起こったとしても
最後は今年が本当に
誰にとっても良い年に
なりますように。