11月以降の母の事は

書き進めるのが

気が進まなかったけれど、


今は少し気持ちが

落ち着いたので、


書けるかなぁと

思います。



8月にがんとわかるまで

歩けないほどの痛みに

苦しんでいた母は、


麻薬性の痛み止めを

処方されてからは

骨折はしたものの、


がん性疼痛が消えて

食欲や元気を

取り戻していました。ニコニコ



その後も母はちょこちょこと

時々不眠や食欲不振を

訴えていましたが、


薬を色々変えて

その都度症状は

落ち着いていました。



お伊勢参りの前後は

豚カツも平らげるほど

食欲も出て、


夜もよく寝ていたし

ミシンを出して来て

趣味の洋裁を再開したので、


私達もホッとして

和やかな気持ちでした。おねがい



けれど、


10月下旬くらいから

11月初め頃になると

母は日に何度も

妹に電話をしては、


「食べられない」

「眠れない」

「もう◯にたい」と

妹にしきりに

訴えるようになりました。ショボーン



実を言いますと

母は昔から

私達の気を引く為に

「めまいがする」

「面白い事が何もない」

「生きていてもつまらない」

「もう◯にたい」などと

度々口走るというか

不定愁訴を大げさに訴える

幼稚な悪い癖があり、


私と妹は母に

「狼少年」と

あだ名をつけて

かねがねその扱いに

手を焼いていました。



その為、

がんの発覚前は

その母の癖が仇になり

私達は眉に唾をつけて

母の訴えを聞いていて、


なかなか信じる事が

出来ませんでした。



今は末期がんだから

流石に母の訴えを

信じない訳には

いかないのですけれど、


食べた形跡があるのに

全く食べていないと言ったり

ぐっすり寝ていて

電話に出なかったのに

全然眠れないと言っては

朝から晩まで何度も何度も

電話がかかってくるので、


妹はすっかり

精神的に参って

毎日イライラしていました。



大切な母が

苦しみをしきりに訴えて

何度も何度も繰り返し

◯にたいと言うのを

なだめるのは、


言われた妹にとって

精神的にも肉体的にも

とても辛い事でした。



それなのに、

私にはなぜか全然

電話がかかって来ないばかりか、


私が母の所へ行くと

母はいつもシャキッとして

食べるしよく喋るし

いたって明るいのです。



私達は

母の状態を図りかね、


「もしかすると

脳の転移が進んでいるのか❔」


「それで認知症のように

なっているのか❔」


「それとも、

それが不安だから

私達の気を引きたくて

いつもの狼少年が

始まったのか❔」と

毎日仕事に行く前と

家に帰って来てから、


妹の話を聞き

妹を労い慰めながら

あれこれと長い間

話し合いました。ショボーンショボーン



そして、


脳転移が進んでいるのも

認知症のように

なっているのも、


それが本人の不安になって

頻繁に妹に

食べられない眠れない

生きているのが嫌だから

もう早く◯にたいと

訴えるのも、


多分全部が

原因なのだろうという結論に

達していました。



続きます。