母がMRI検査を
早急に受ける為に、
かかりつけの整形外科の
T病院のT先生に
連携していただいて、
メディカルスキャニングさんを
訪れた話の続きです。
メディカルスキャニングさんは
完全予約制で
検査専門の医療施設の為か、
待合室にはほとんど人が
いらっしゃいませんでした。
もしお見かけしても
すぐに受付や
お会計に呼ばれて
すぐ終わるので、
待ち時間が
ほとんどないのです❗
従って私達も
待合室には
ほとんどいませんでした。
これは体調の悪い母には
本当に本当に
有り難い事でした。
メディカルスキャニングさんのご配慮に
感謝いたします。
受付を済ませると
すぐに診察室に
私達は呼ばれました。
診察室の医師は
20代くらいの
お若い男性でした。
(ここからT先生と
区別をつける為、
「お若い先生」と書きます)
診察室では
これまでの経緯を
詳しく聞かれたので、
母が主に説明して
足りない所は私が
補足しました。
お若い先生は
「なるほど」と
私達に向き直ったり
質問したりしながら、
パソコンに入力なさいました。
机の上には
受付で渡した
T先生からのお手紙が
開いて置かれていて、
既にお読みになったようでした。
封筒が渡された時も
分厚かったけれど、
机の上の便箋は何枚もあり
細かい丹精な字で
手書きで何かがびっしりと
書かれていました。
最後にお若い先生は
「T先生からは
大変に詳しくお手紙を
いただいております。
よくわかりました。」と
おっしゃいました。
お若い先生の言葉に
「あぁ、
やっぱりT先生から
託された封筒は、
T病院でT先生や
受付の方からも
言われた通り、
普通の紹介状ではなくて
詳しく病状説明を書いた
『お手紙』だったんだ❗」と
私は思いました。
またブログに書く事が
あるかと思いますが、
実は、
母は14年前の
70歳の時にも、
がんを見過ごされてしまった事が
あるのです。
その時は
ピンク色のおりものに気づいた母が
ふるさとの産婦人科を受診して
子宮頸がんの病変が
見つかったのですが、
ふるさとのがんセンターでは
子宮頸がんのゼロ期と言われて
病変をえぐって取る
日帰り手術だけでした。
ところが3ヶ月後の
経過観察で
腫瘍マーカーの数値が
下がっていなかった為、
精密検査をもう一度
散々繰り返した結果、
進行した子宮体がんが
発覚しました。
「誤診でした。」
「体がんが
見つけにくい場所にあった為
見過ごしてしまいました。」と
ふるさとのがんセンターからは
言われましたが、
特に申し訳ありませんとは
言われませんでした。
その時は
子宮と卵巣を全摘し、
何年かの経過観察を経て
幸い母は
寛解しました。
祖母の肝臓がんは
背中の痛みから受診して
わかった時は末期でしたから、
最後はホスピスで
昼間は妹が
赤ちゃんの姪を連れて付き添い
夜は母と私とで泊まり込み、
祖母を看取りました。
それらの経験を通しても
今までそのような
長いお手紙を、
他の病院に連携される時
お医者様から渡された事は
ありませんでした。
今年の春に
T先生に母の腰の膿瘍を
レントゲンで見つけていただき
せっかく紹介状をいただいて
総合病院を受診したのに、
総合病院では
「膿ではなく
軽度の椎間板ヘルニアです。
白く写っているのは
何かわからないが
おそらく水分です。」と言われて
すっかり安心した私達は、
何ヶ月もそのまま
総合病院から湿布と痛み止めを
処方されて、
病変を放置してしまいました。
T先生はその事に
ショックを受けられて、
自分の懸念が次からは
次の病院に見過ごされて
放置される事が
ないように、
詳しい経過状況と
ご自身の見解のようなものを
したためられ、
ここを特に注意して
診てほしいと
お願いされたのではないかと
私は思いました。
お医者さまというのは
皆が専門の職人のような
ものですから、
相手への意見や依頼は
僭越だとして
普通はされないような
気がします。
だからこそ、
私はここまでして下さった
T先生への感謝と感激の念で
感動が止まらず、
MRI検査に入る
母を待つ間、
涙がぽろぽろと出て
止まりませんでした。
やらなければならない事や
決めなければならない事に
毎日追いまくられて
疲れ切った体と心が、
T先生の優しさと誠意で
すごく癒やされて
慰められました。
この世には
理不尽な事が
時に起こりますが、
それ以上に
有り難い御心遣いや
幸せな奇跡に
満ちていますね❤
T先生はじめ
T病院の皆さまと
メディカルスキャニングの
お若い先生や皆さまに、
心から感謝いたします。
思いがけないお手紙だけでも
大変幸せを感じたのに、
この後さらに
T先生からは
大変有り難い事を
していただいたのです。
続きます。