我ながら、
どうして今日のこのブログを
書いているのか、
よくわからないのです。


よくわからないながら、
何かに突き動かされるように
このところ私が
ず〜っと調べていた事を
今やっと
書こうとしています。ニコニコ


きっかけは、
吉野の吉水神社様で拝見した
この三帝御宸筆に
違和感を感じた事です。
下矢印


吉水神社様には
後醍醐天皇ゆかりの
多種多様な御物が
遺されていました。


義経公や静御前や弁慶の
遺物の場合は
急いで落ち延びる為に
よんどころなく
置いていったものです。


秀吉公の遺物の場合は
吉野の花見の後
お礼として吉水院に
置いていったものです。


後醍醐天皇の場合は
崩御されるまで吉水院に
蟄居させられていた為、

生前の息遣いまでが
今もはっきりと
感じられるような、
たくさんの身の回りの品が
そのまま遺っていました。


本当にここに
お住まいでいらっしゃったのだ…と
その事実がものすごく
リアルに感じられました。


貴重なお宝なのだから
何もここまで開けっぴろげに
しなくても、

もう少しもったいをつけて
公開したらいいのに…と
心配になるほど、

吉水神社様では
まるで虫干しみたいに
宝物を一度にズラーッと
全部広げていたのに、

(陽に灼けないか
とても心配でした)

なぜか三帝御宸筆だけが
同じ表装
同じサイズの
巻物のまま、
開かれていなかったのです。


後醍醐天皇の和歌や巻物は
全部びろ〜んと広げているのに
どうして❔と、

私はその事が
奇異に感じられて
ずっとひっかかっていました。キョロキョロ


後水尾天皇の親王が
霊元天皇で、
その親王が
東山天皇でいらっしゃいます。


つまり三帝御宸筆は
親子三代の書きつけが
巻物になって、
一つの箱に納められて
奉納されています。


親子三代の天皇が
後醍醐天皇に
一体何を祈願したのか、

なぜ巻物が
巻かれたままなのか、

調べてもはっきりしたことは
よくわかりませんでした。


わかった事は、
江戸幕府と朝廷とは
権力の駆け引きが
ずっと続いており、
江戸幕府の天皇家に対する
圧迫と専横は
かなりひどいものだったと
いうことでした。


よろしければ
下記のウィキペディアを
是非ご覧下さいませ。









三帝は後醍醐天皇に対して
江戸幕府打倒を祈願したのかと
思いつつも
行き詰まっていたところ、

たまたま私のブログを
イイネして下さった
「日本史編纂所」様のブログを
拝見して、

後水尾天皇の親王で
霊元天皇のお兄上である
後西天皇が、
江戸幕府に退位させられて
崩御される1685年まで
御所内の凝華洞に
蟄居させられていた事が
あっさりわかったのです❗びっくり




日本史編纂所さま、
本当にありがとうございます❗ラブ
感謝いたします❗


退位した天皇陛下は
仙洞御所にお住まいになるのが
当然であるところ、

網を張られた
(おそらく、
罪人の家の周囲に巡らす
竹矢来かと思われます)
十四、五畳しかない
狭いお住まいに
後西天皇が崩御されるまで
押し込められていたのは、

幕府転覆をはかった為だと
日本史編纂所さまは
書いていらっしゃいます。


日本史編纂所さまは
実際に京都御苑に行って
「後西院天皇仙洞御所凝華洞跡」と
棒杭に書かれた
まるで見せしめのような標識を
ご覧になったそうです。


後西天皇の同母妹は
仙台で伊達綱宗公を
お産みになりました。
伯父の22歳の後西天皇と
甥の19歳の伊達綱宗公が
江戸幕府の専横を憂えたとて
不思議ではありません。


伊達騒動の真実は
仙台城に帝座の間を作り
後西天皇をお救い申し上げ
お迎えしようとした
綱宗公が22歳で
若隠居させられ、

江戸幕府の権威が失墜しないよう
仙台藩士の原田甲斐は
口封じと見せしめの為
跡目の男子が全員
○されるという
酷い目にあったというのが
真実のようです。


後水尾天皇と
霊元天皇と
東山天皇とは
御所から見える場所に
後西天皇が押し込められている事を
おいたわしくお思いになり
悲憤慷慨されていた筈です。


おそらく三帝御宸筆は
鎌倉幕府を打倒した
後醍醐天皇のお力に縋り、
後西天皇が救い出されて
江戸幕府が打倒されますようにと
祈願した願文が
書かれているからこそ、
吉水神社様では
開けないのだと
私は確信いたしました。


スッキリしました❗爆笑


ちなみに私は
どうか皇室典範が改正されて
敬宮愛子内親王殿下が
天皇陛下になりますように、
正しい道が通りますようにと
後醍醐天皇に
祈りました。照れ


ところで、
下のリンクには
凝華洞は松平容保公が
駐屯されたと書かれていました。ガーン


よりによって、
一番江戸幕府を
恨んでいたであろう
後西天皇の御座所に
駐屯されるなんて…ガーンタラー


京都のどなたが
これを差配したのかと
思ってしまいました。真顔




人にした事は
自分に必ずかえってきますから
心ない無慈悲なこと
冷酷なことは
一切しないように、
ますます心がけようと
思います。


(このブログ、
なぜか一部消えたので
消えた部分は書かずに
書き直しました。)