4人兄弟の中で
母は3歳年下の弟である叔父と
一番仲良しでした。


ものすごく仲良しだったと
言っていいと思います。


元は長男と次男の伯父達とも
母は仲良しだったのですけれど、

社会に出てお互い結婚し
奥さんが出来子供が出来ると
家庭優先になりますから、

私がものごころついた時には
お正月や夏休みに
祖父母の所に集まる時しか
会わなくなっていました。


大学を卒業してから
しばらく就職せずに
フラフラしていた叔父は
心配した父の紹介で
番組制作会社に就職しました。


そこでの仕事が性に合った叔父は
言葉通り世界中を
絶えず飛び回っていて、
30代後半になるまで
独身貴族でした。


叔父は忙しく不規則な
仕事の合間にフラリと
姉である母の所に
頻繁に泊まりに来ては
私達と遊んでくれて、

一緒に父とお酒を飲み交わし
母の美味しいご飯を食べて
次の日また仕事へと
出かけていました。


叔父は私達姉妹にとっても
ずっと一番仲良しで、
一番可愛がってもらった
大好きな叔父でした。目がハート飛び出すハート


そんな叔父は美容師出身で
タイムキーパーのアルバイトをしていた
同年代の女性と
40代目前で
遅い結婚をしました。
明治記念館での盛大な結婚式には
家族全員で出席しました。


そこでのスピーチで
判明した事によると
叔父と叔母は
元は遅くまで飲み歩く
長年の飲み仲間だったそうです。リキュールロックグラス 


また、叔母は下町育ちの
チャキチャキの江戸っ子で
一年中ハッピにタスキがけで
東京中のお神輿を担いで歩くのが
結婚前の趣味だったそうです。


その趣味のせいなのか
叔母は声がしゃがれて色が黒く
ショートカットで
研ナオコさんに似ていました。


煙草をスパスパ吸って
ガブガブお酒を飲んで
ガハハと笑う所が
最初は怖かったのですが、
話してみると豪快で
とても面白い人でした。


家事が得意な所も
見た目のイメージとは違った
嬉しい驚きで、
良かったなぁ〜と
子供心に叔父に対して
嬉しく思ったものです。ニコニコ


叔父夫婦には男の子2人が産まれ
我が家にも何度も泊まりに来て
仲良くしていました。ひらめき


だからこそ、
祖母のお見舞いに
叔父夫婦がずっと来なかった事は
私達にも祖母にも余計に
意外でショックでした。悲しい


祖母が亡くなってからは
叔父家族と我が家が会う事は
なくなりましたが
叔父と母とは連絡は
取り合っていたようです。
また私と妹は
年賀状は欠かさず
叔父に送っていました。


私が東京の叔父の家の
近所に家を買う時、
それを母から
聞いたらしい叔父は
私に突然電話をかけてきて、
とても喜んでくれました。


そして、
「俺、会社の伝手で
インテリア用品何でも
半額で買えるから。

何でも俺に言ってくれよ。
注文するから。」と
私に言いました。


私は祖母の葬儀ぶりに
叔父の声が聞けて、
その時ものすごく
嬉しかったし
有り難かったです。おねがい


そこで私は叔父に
「おじちゃん、ありがとう❗

それなら、
カーテンをお願いしてもいい❔

市販のカーテンだと
サイズが合わなくて、
全部買い替えないといけないけど
高いから、
どうしようかと
ちょうど悩んでたの。」と
答えました。


当時は安いニトリとかはなく
オーダーカーテンは
住宅ローンを組んだばかりの
我が家には、
苦しい出費でした。


するとその週末すぐに
叔父は引っ越し前の新居に
上のいとこと2人で
車で駆けつけてくれて、

○ンゲツやら
川島○ルコンやら
たくさんの生地見本のついた
大きな辞書のような
分厚いカタログを
何冊も持って来て、

「どれもこれも半額だからな」と
念押しして、
どのカーテンがいいか
私に選ばせてくれました。


私がカーテンを選んでいる間に
叔父はいとこと一緒に
持ってきた脚立で
家中の窓の大きさを測って
大張り切りでメモしてくれ、

私からカーテンの注文を聞くと
「じゃあな。」と
風のようにカッコよく
帰って行きました。


私達と一緒に
食事もせずお茶も飲まずに
叔父といとことが
あっと言う間に帰って行ったのは
仕事でもあるのかなと
当時は思っていたのですが、

おそらく叔母には内緒で
我が家に来たからだろうと
今になって
やっと気づきました。真顔


その時、私にとっては
夫や息子達の前で
頼りになる叔父の事が
ものすごく誇らしかったし、
長年没交渉だった
叔父の厚意がものすごく
嬉しかったです。おねがい


叔父は叔父で
番組制作やコマーシャル制作で
美術を長年担当していたので、
自分の得意分野で
姪の私の役に立てる事が
きっとすごく嬉しかったのだと
思います。


しかし、
叔父はこのカーテンの事で
大失敗をやらかしてしまい、
その後その事で
叔母と母が大揉めに揉めて
本格的な仲違いを
してしまったのです。悲しい


叔父がスットコドッコイで
色々詰めが甘かったのは
仕方ないとして、

叔母がいなければ
叔父とはいつまでも仲良しで
近所で行き来も出来たし
叔父が癌になった時も
みんなでお見舞いにも
行けたのにと思うと、

今でも私達は
残念でなりませんが、

叔父と叔母がうまくやっている事が
一番なのですから、

母も私も妹も
仕方ないとその時以来
諦めていました。悲しい


するとそんな頃、
妹が叔父の夢を
見たというのでした。


この叔父の夢は
妹が今回のお彼岸に
見た夢とは別の夢です。


あ〜、
書いているとあの頃の
悲しかった事や
当惑した事を
色々思い出します…。悲しい


叔父と会えなくなって
私達はとても寂しかったし、

叔父も自分の失敗のせいだけに
とても悲しかっただろうし、
私達にずっと申し訳なく
思っていた事でしょう。


妹が見た叔父の夢を
書こうとしたお陰で、
私達が叔父をずっと大好きで
叔父も私達の事を
ずっと大好きだった事を
思い出せました。えーん


これもお彼岸のお導きかも
しれませんね。
本当に有り難いです。


続きます。