指月殿の階段を降り
細い細い道を戻ると、
目の前の桂川の真ん中に
弘法大師様が開いたという
独鈷の湯がありました。


昔は独鈷の湯で
湯浴みが出来たそうですが
今は足湯のみ
入る事が出来ます。
無料です。ニコニコ


私は入りたかったのですが
夫は足湯は衛生的に
心配だということで
残念ながら
入りませんでした。



独鈷の湯のすぐ近くには
国の登録有形文化財である
新井旅館もあります。


本当は新井旅館に
泊まってみたかったけれど、
休日は2人で一泊
10万円超えてしまうので
無理でした〜。泣き笑い




独鈷の湯を横目にしながら
川沿いを歩いて行くと、

竹林の小径の手前に
茶処水ぐちさんという
茶店がありましたので、
喉が乾いていた私達は
お茶にする事にしました。おねがいお茶お団子



茶処水ぐちさんは
桂橋と竹林の小径が
目の前にあるという
絶好のロケーションにあり、
さらに格安の温泉宿も
経営しているとの事でした。おねがい



茶店の奥に
温泉宿があります。
下矢印


お抹茶は
「お茶筅を借りて来たら❔」と
夫が冗談を言うくらい
泡が立っていなかったものの、
とても眺めが良くて
のんびり休憩出来ました。



下の写真の奥に見えるのが
竹林の小径です。
下矢印


休憩を終えた私と夫は
竹林の小径を歩きました。



京都嵐山の竹林のイメージを
私は想像していましたが、
修禅寺の竹林の小径は
距離が意外と短くて
すぐに通り抜けて
しまいました。
それでも、風情があって
なかなか良いものでした。ニコニコ




雨の予報でしたのに
晴れ女なもので
段々晴れて来ました〜爆笑



上矢印竹林の小径を抜けて
楓橋という橋を
渡りました。





下矢印途中、
「蛍の生息地につき
立入禁止」と看板に
書かれていました。
自然を守る修禅寺は
素敵な所ですね❤おねがい



竹林の小径を抜けた後は
畑の点在する住宅地を
しばらく歩きました。


桂川の渓谷から離れて
斜面の細い道を
うねうねと登って行くと、
丘のような小高い場所に
範頼様の墓所が
見えて来ました。



範頼様は頼朝公の異母弟で
実朝公の第六子です。
今の浜松市に当たる
蒲御厨という所に
住んでいた事から
「蒲冠者」「蒲殿」と
呼ばれたそうです。


義経公と共に木曽義仲公を討ち
一の谷の合戦では
大手軍の総大将を務め
(義経公は搦手)、
平家を討ち果たした功により
三河守に任ぜられました。


しかし義経公討伐の命令を
断った為に、
頼朝公から謀反の心ありと
疑われるように
なったそうです。

さらに、
曽我兄弟の仇討ちの際
頼朝公死去の誤報に
嘆き悲しむ北条政子様に対し
「範頼ある限りご安心を」と
言った事から
謀反を疑われ、
弁明に努めたものの
許されずに幽閉されて
梶原景時に攻め込まれ
亡くなられたそうです。


範頼様の奥方は
頼朝公の乳母の
比企尼の孫でした。
比企尼が嘆願したのか
子供達は命を奪われずに
比企の本拠地にある
吉見の地で、
吉見氏として命脈を繋ぐ事が
出来ました。
良かった…。おねがい



墓所は見晴らしが良く
下は広場のようになっていて
紅白の梅が花盛りでした。



まるで日枝神社様のような
大きな大きな木々に
守られるように、
範頼様は気持ちの良い場所に
安らいでいらっしゃいました。


頼家公の墓前と同じく
私は心の中で
範頼様に懇ろにご挨拶して、

どうか日本がいつまでも
平和でありますように、

人々が皆大切な人と
いつまでも一緒に
笑って幸せに暮らせますように
お守り下さいと
お祈りしました。


どうして人はこんなにも愚かで
いつまでたっても諍いや
戦争を止められないのでしょう…。ショボーン





範頼様の墓所に
やっとお詣り出来て
本当に良かったです。おねがい


感謝いたします。