上矢印一昨年の今頃
妹とログハウスで
一緒に眠った
最初で最後の夜の思い出を
上に綴っております。ほっこり




ひとつ前のブログで
書き漏らしましたが、
朝の勤行に参加した方は
お大師様に参拝した後、
次にお戒壇巡りへと
案内されます。


真っ暗な中を手探りで進むと
段々向こうの方に
かすかな光が見えてきます。


光の方角に向かって
さらにそろそろと歩くと
ふいに明るい空間が開けて、
戒壇の真下には大日如来様と
空海様のご両親である
佐伯善通様、玉寄御前様、
そして稚児大師様の像が
いらっしゃいました。


あぁ…。
やっとやっと
ここに来られたという
感慨に包まれながら
参拝しました。


また暗闇に向かって
歩を進めると、
朝の光に包まれた
外界に戻りました。


お戒壇巡りをすると、
生まれ変わる時って
こんな感じかなと
いつも思います。ニコ



朝食をいただくと
勤行に参加していた
男性2人は
お遍路装束に身を包んで
菅笠をかぶって杖を持って
白い頭陀袋を提げて
すぐに次の札所へと
発ちました。


昨晩お酒を聞こし召していた
男性も8時前にはスーツを着て
出て行きました。


その間私はロビーで
缶コーヒーを飲みながら
機関誌「へんじょう」の
バックナンバーを読んで、
気に入ったものを何冊か
持ち帰る事にしました。
(お持ち帰り下さいと
大量に積まれています。)


仲良しのご夫婦は私と同じく
9時のチェックアウトでした。
私達3人とも
白衣を着て輪袈裟を掛け
ご夫婦は杖と菅笠も
装備していらっしゃいました。
私は飛行機に乗る関係から
杖と菅笠は
用意しませんでした。


さあ、
あらためて参拝です❗爆笑



私が説明するまでも
ありませんが、
善通寺様は四国八十八ヶ所の
第75番札所です。


善通寺様の後ろには
香色山、筆ノ山、
奥の院禅定のある
我拝師山、
中山、火上山と
五岳山が屏風のように並ぶ
美しい光景が広がっています。


香川には札所が5カ寺あり、
隣接する三豊市と多度津町の
札所を含めた7寺を一日で巡る
「七ヶ所まいり」が古くから
行われていて、
お互いが近くて巡りやすく
八十八ヶ所すべてを巡るのに
準ずるごりやくがあると
言われているそうです。


私は実は旅行前に
七ヶ所まいりをしようかと
かなり迷ったのですが、

前回の香川旅行は台風で
大雨の中の観光だったので
もう一度快晴の時に
名所を巡りたい気持ちが
強かったのと、

本来の目的の同窓会の為に
翌日の昼には島に渡らないと
いけなかったので、

今回は善通寺様だけを
巡るとあらかじめ
決めていました。


廿日橋のたもとには
「弘法大師御誕生1250年」の
幟が立っていて、
記念すべき節目に
立ち会える幸せを
感じました。ニコ



実はここで
とても残念で悲しい事が
ありました。悲しい


5年前に友人に
善通寺様に案内された時
門前のカタパンのお店を
教えてもらい、
カタパンを買って帰ったら
ものすごく私の好きな味で
とっても美味しかったので、
今度は絶対たくさん買おうと
楽しみにしていました。ニコニコ飛び出すハート


友人によると
カタパン五種類は今は
駄菓子のような扱いだけれど
昔々軍隊から
兵糧食として注文を受け
初代が製法を教えられたもので、
今もここでしか作っていないし
製法も門外不出らしいと
いうことでした。


湿気ないようにと
昔ながらのお煎餅屋さんのように
蓋にガラスのはまった
四角い木の箱や
大きな大きなガラス瓶に
色んなカタパンが入っていて、
注文するとおばあちゃんは
スコップのようなもので
それを掬い
白い薄い紙の袋に
サッと入れて、
素早くクルッと
縁を巻き込んで
渡して下さいました。


販売していたおばあちゃんは
かなりお歳を召されていましたが
昔はさぞ美人だったろうなと
思うような
目のパッチリした品のある方で、
そろばんもレジも一切使わず
私達の細かい注文を
全部暗算でやってのけました。


友人が子供の頃から
計算間違いは一切ないそうで
本当にすごいと
その時話していました。


雨戸が閉まっていたので
朝早いから開店前かな❔と
近づいてみると、
なんと、
「三代目司郎永眠の為
しばらくお休みします」
「11月17日から
再開します」と
紙が貼られていました。驚き



なんということでしょう…。
悲しい



同窓会で友人に会った時
(今度は彼女は
ポルシェマカンではなく
カイエンでやって来ました。)
その話をすると、

「そしたらその三代目って
きっとおばあちゃんやわ…。
亡くなってしもたんや…。」と
友人は言いました。


皆さんも善通寺様に
行かれましたら、
ぜひカタパンを購入して下さい。
カタパンはクリスマスの
スパイスクッキーに似た
滋味溢れる栄養食で、
長持ちするだけでなく
非常に美味しいです。
そして、
今はどなたがお店をやって
いらっしゃるのか、
どうか私に教えて下さい。


念願のカタパンが
買えなかったのも
おばあちゃんが亡くなったのも
残念でなりません…。悲しい



トボトボと仁王門を潜ると
威厳のある仁王様ですが
この時はとてもお優しそうに
慰められているように
見えました。



仁王門の裏側は
大きな大きな草鞋です。
浅草寺様や川崎大師様を思い出し
ほっこりしました❤ニコニコ



御影堂まではこのように
廻廊となっています。



まず手と口を清めなくては…。
前回はなかった花手水が
とても美しいです❤ニコニコ



先程は廊下伝いに入った
御影堂にあらためて
外から参拝しました。


宿坊に宿泊して
朝の勤行に出た方は
宝物館に無料で入れると
教えていただき、
宝物館に入りました。ひらめき飛び出すハート


東京国立博物館でも
いつも思うのですが、

どの仏様も
普通のお寺ならご本尊になって
お祀りされていても
ちっともおかしくない
大変に立派で
由緒ある仏像なのに、

ちゃんと毎日お勤めは
されているのでしょうけれど
ガラス張りの展示物として
飾られているだけなのが
残念で仕方がなく、

でもそんな仏様達を
貸し切りで一度に拝見出来るのは
とても嬉しい事で、

「もったいないなぁ…。」
「有り難いなぁ…。」と
しきりに言葉が漏れて
仕方ありませんでした。


もちろんご挨拶して
それぞれにご真言を
お唱えしました。
後になって写真を撮って
ここでご紹介しても
良かったのかなぁと
考えましたが、
なんとなく…。
撮影は憚りました。



下矢印この建物は表書院です。
開放されていません。



お大師様や様々な仏様が
ここに集まっていました。


次回は奥の院禅定がある
後ろの我拝師山にも
足を伸ばしてみたいです。



宝物館の前、
御影堂の横に
空海様が産湯に使った
産湯井戸がありました。



5年前は宝物館も
産湯井戸も拝見しなかったので
初めてです。


善通寺様一帯は
大変に清々しい場所で
聖地といっていい所だと
思いますが、

御影堂にお参りして
お戒壇巡りでご両親の像にも
お参りして
そして産湯井戸を
実際に目の当たりにすると、

何だかその時代の
その瞬間の息吹を
感じるというか、

同じ血の通った人間として
私が祖父母のお寺で
かつてしていたように
子供の空海様がここで
生き生きと走り回ったり
池に顔を映して絵を描いたり
していた事が、
紛れもない実在として
私に迫ってきました。


讃岐は晴れた時には
対岸の本州がとても近くに、
そして遥かな太平洋も
目の前に見る事が出来ます。


私が知る四国の方は
皆自由闊達で
軽々と制限を突破していく
スケールが大きな人ばかりなのは、
この開放的な地理風土も
関係するのかなと
私は感じました。


青年の空海様が
ここで思い悩んだり
壁にぶつかったりしながら
青雲の志を抱いて
京都の都まで
そしてはるかな唐までも
船出した事実が、
私に百千万もの勇気を
与えてくれるように
感じられました。


その原点の産湯井戸の前で
私はすべての存在の
祝福されて誕生した瞬間を
思いました。


突然変な事を
言うようですが、
「元気があれば、
生きていれば
何でも出来るぞ❗」と
若々しき空海様から
大きな気合を入れられたように
感じました。


有り難かったです。




こちらの元三大師様は
マジで魂が
入っていまして、
こんなに可愛らしいお召し物に
何重にも包まれていますが
ひれ伏したくなるくらい
ゴォーッとエネルギーが
充満していまして、
怖かったのですが
素通り出来なくて
旅の無事と健康とを
思わず祈りました。


他の所は行っていないから
わからないけれど、
この場所一帯に限らず
四国って全体的に
エネルギーが強いのかも
しれませんね。



個人的に
札所に立つ小坊主さんが
とても好きです❤ニコニコ



普段公開していない
瞬目大師様が
来年御開帳になるそうですよ❗
ぜひ拝観したいです❗ひらめき飛び出すハート



山がお堂の間から
見え隠れするのが
ほんとに気持ちいいです。




大好きなお不動様です。
扉が開いていて嬉しい❤



閻魔様です。
閻魔様にお目にかかると
いつもするお願いを
お願いしました。おねがい



親鸞堂です。
どうして親鸞様がここに
いらっしゃるのかは
わかりませんでした。



このあと無事、
判衣に御朱印を押していただき、
最初に御朱印帳に
御朱印をいただいた所にも
重ね印をいただきました。



善通寺様の参拝は
まだまだ
まだ、続きます。