安倍文殊院様から
聖林寺様までは
車で5分くらいでした。


下の駐車場に停めて
細い坂を登るのですが
途中の道も狭い一本道で
駐車場も狭かったので、

「もし満車だったら
大変だったから
やっぱり、
観音堂が落慶した
8月に来なくて
本当に良かった…。」と
思いました。



山門までの
曲がりくねった階段を
登る時、

夫が
「箸墓古墳が見えるよ❗」と
声をかけました。



「えっ、どこ❔」と
私はキョロキョロしました。
びっくりアセアセ


「あの山の向こうに
2つ小さい山が
繋がっているだろう❔
あれだよ。」と
夫が言いました。


本当だ❗びっくり


「次はあそこにも
行きたいね。」

「そうだね。」と
夫と話しました。おねがい



わかりますか❔
上の写真、
フタコブラクダのような🐪
ひょっこりひょうたん島のようなのが
箸墓古墳です❗爆笑


日本だけでも
また必ず行こうと
思っている場所が
たくさんあるけれど、

なかなかどうして
意外と行かれないものです。


また来たいと思った所に
来られた時はいつも
「年長けて
また越ゆべしと思いきや
命なりけり
小夜の中山」の
西行法師の思いが
身に沁みてわかり、
感動します。照れ



上の写真の
右奥に見えるのは
三輪山です。



私は観音堂の修復の
クラウドファウンディングに
参加したのですが、
大悲殿というお名前に
なったのですね…。おねがい



聖林寺様の創建は奈良時代
和銅5(712)年に
談山妙楽寺(現談山神社)の
別院として
藤原定慧(鎌足の長子)様が
建てたとされています。


戒律と祈祷の寺として知られ
特に安産子授け祈祷は
真言密教に拠りながらも
独自のものがあり、
その霊験は広く
知られるそうです。


十一面観世音菩薩様は
慶応4(1868)年に
大御輪寺様
(大神神社様の神宮寺)から
神仏分離令により
遷されました。
フェノロサと岡倉天心によって
開扉された時は
ミロのヴィーナスとも比較された
天平時代の作で
国宝です。


かつては四天王に守られ、
前立観音の他
左右には多くの仏像が並び立ち
薬師如来一万体の板絵が
背面に飾られていたそうです。


前立観音様が
いらっしゃったということは、
かつては秘仏で
公開されていなかったんだ…と
思いました。びっくり



受付で無料入場の
はがきを2枚お渡しする時、
お礼品として
聖林寺様から送られた
延命十句観音経の写経用紙を
一緒にお納めしました。


はがきと一緒に
この見本と
特製の写経用紙と筆ペンが
送られてきた時、
いつか聖林寺様にお参り出来たら
お納めしようと
一年間温めていましたから、
誠に感無量でした。照れ



本堂内は
フェノロサが寄進した
お厨子のみ撮影出来ました。



フェノロサさんは
観音様が観音堂もなく
おいたわしいと思って
これを寄進したのでしょうが、

残念ながら
観音様は台座を入れて
3メートル近くあるのです。


本堂の天井は低いので
観音様は元々台座を外して
本堂に安置されて
いた事でしょうけれど、

電話ボックスの大きさの
お厨子はせせこましくて
観音様の雄大さ、
優雅さを甚だしく損ない
魅力を著しく
失わせます。


お厨子を送られても
相変わらず台座には
載せられなかった事でしょう。

この美を見出して下さり
有名にして下さったお気持ちは
大変有り難いけれど、

お厨子はありがた迷惑では
なかったかしらんと
思いました。


でもこれこそが
厚意と恩義の証ですから
お厨子は本堂の中で
これからも大切に
される事でしょう。


でもでも、
このお厨子は無骨で
観音様には雰囲気が合わないし、
やっぱりとっても
狭苦しいです❗


これを造った職人さんは
フェノロサさんが引いた図面を
渡された時、

観音様とこの本堂を
見に来る手間を怠ったか、

それとも小さいですよと
進言したのに
ポータブルだからと
フェノロサさんに押し切られたかの
どちらかだと思いました。



宝相華唐草の光背は現在
奈良国立博物館に
寄託されているそうです。



撮影禁止でしたから
実際に十一面観世音菩薩様に
再会した様子や
大悲殿の様子は
写真がありませんが、

さらに階段を上った
一番高い場所に建てた
大悲殿はまるで
キリスト教の教会のようでもあり
また蚕の繭の
ようでもありました。


静謐でまっ白い空間に
360度拝観出来るように
台座に載せられて
真ん中に一人お立ちになる
観音様は、
まるでマリア様のように
慈しみに満ちて、
ミロのヴィーナスのように
優美でした。


念願叶って
遠路はるばる
聖林寺様に来られて、

そして東京国立博物館で
拝観した十一面観世音菩薩様に
またお会い出来て、

私は本当に幸せだと
思いました。



お抹茶とお菓子を
いただけるとの事で
帰りに大和の風景を
眼下に眺めながら
夫といただきました。



わぁ〜、
行ってみたかった
白玉屋栄壽さんの
「みむろ」だぁ〜❤ラブ



紅い折敷も
とてもお寺らしいし、

お抹茶碗も
聖林寺様特製のお碗で、
前も後ろも
とっても素敵🎵
嬉しい❤おねがい


後ろは枝をくわえた白鳩と
箸墓古墳と三輪山です。



観音様を何とか救おうと
して下さった
大御輪寺様、

観音様を受け入れて
ここまで守って下さった
聖林寺様、

フェノロサ様、
岡倉天心様、
これらすべてにかかわった
数多の方々、

本当にありがとうございました。


奈良で見聞きした事
体験出来た事すべてに、
心からの感謝を
捧げます。


(追記)


私が聖林寺展で
いつまでもいつまでも
眺めていたいと思い
離れ難かった地蔵菩薩様について
今になって調べた所、
元は観音菩薩様の脇侍だったもので
一旦聖林寺様に遷された後
法隆寺様に遷された事が
上のリンクでわかりました。


次は是非
法隆寺様にも
行きたいと思います。おねがい