夕食が出来上がり、

夫と息子達と両親と

あと妹家族もやって来て

みんなが食膳に

揃った時のことです。



夫の父は急に

私の方へ向き直り、


「○さん。


私のせいで○さんに

とても嫌な思いをさせて

すみませんでした。」

と言って、


座布団を外して

正座して

まるでお茶の

お稽古の時のように

頭を畳に着けて

私に謝ったのです。



ちょっ…。滝汗



妹夫婦は

私達が3年間

帰省しなかった事情を

知っていると思うけれど、


何も知らない

息子達とあと

甥達の前で、


夫の父を

土下座せんばかりに

謝らせているって、


これ、

どういう状況?



そして、

私、

どんな嫁〜!?笑い泣き



私は正直

お父さん、

一体何をしてるの〜!

とてもあせりました。



父に何と言ったか

あまり良く

覚えていないのですが、


「もう大丈夫ですから

頭を上げて下さい。」か何かを

私は言ったような

気がします。



わざわざみんなの前で

仰々しく謝られて

私が困惑するのが

わからないのかしら…と

思いました。



もしも私がみんなの前で

父を許さなかったら

どうするのかしら…。



それとも許さざるを

得ない状況にして

謝ったのかなぁ…。



確かに、

どこでも好きな所に

家を建ててよいと

夫に言ったという

とても大切な事を、


母に話していなかったのは

父の落ち度です。



そのことを夫婦間で

父が母に謝るなら

話がわかります。



でも、

私を罵倒したのは

父ではなくて、


妹家族の住んでいる

マンションが狭いけれど

自分で買う事も出来ず

困っていると聞いて、

それなら

両親の家の2階に住んだら

良いのではないかと言った

私の気持ちを

一方的に誤解して、


怒り狂って

私が台湾にいる事を忘れて

夜中にメールしてきた

母なのですから、


ここでもしも謝るとしたら

父ではなくて

母の方なのではないかと

私はぼんやり

思いましたが、


そのことはもう

正直どうでもいいと

思っているので、


そのまま食事しました。



夫の母は

上京して

私の話を聞くまでは

私にメールで何度も

謝っていましたが、


私は怖くて一切

返信していませんでした。



上京して

私の話を聞いた時から

母の頭の中では

悪いのは全部父だということに

切り替わったようです。



それからは母は父への怒りで

頭がいっぱいで、

私が素直に伝えた

母への気持ちは

残念ながらあまり

母には響きませんでした。



上京した時もその後も

母から面と向かって

謝られた事は

一度もありません。



私にキッチリと謝るように

父に指示したのは

母しか考えられないし、


みんなの前で父が

許しますと私が

言わざるを得ないような

謝り方をしたのは

誰の考えか

わかりませんが、


少なくともその事で

母が父を怒った様子は

ありませんでした。



私はあらためて

夫の母の

底知れない恐ろしさを

実感しました。



自分の母親の面倒を見たいと

祖母を急に新幹線で

連れ帰った時も、


自分は祖母と

妹家族がいる東北に

定住するから

お前は好きな所に

家を建てていいと

夫に言った事も、


転勤を断って

局長になることを

選ばなかったことも、


全部父の本心から

決断したことだと

私は思います。



それらの事を母に

いつも相談しなかったのは

母がそれを聞けば

絶対に激怒して

許さないからだと、


私は今までの事で

理解してきていました。



父は心が弱くて

母に逆らう事は

けして出来ないから、


自分の意志を

あくまでも通したい時は

母に言わずに

独断で動くんだなぁ、


それでいつもこんな風に

後で母にメタクソに

吊るし上げられて

いるんだなぁと

私は思いました。



それが父の唯一の

自分の意見を

通す方法なのです。



まったく君は

どうしようもない

お人好しだ、

だけどそこが君の

愛すべき所だと

いつも夫から揶揄される

私ですが、


そんな鈍い私でさえも、


夫の両親と

同居しなくて済んだのは

実は私にとって

残念なことでも

悲しいことでもなくて、


実はとてもラッキーで

有り難い事だったのだと、


やっと気づけるように

なってきていました。



この幸運に

感謝します。