③スーパーで買い出しした後
私が鍋を取り出そうとして
台所のガスコンロの下の
扉を開けると、

なんと、
どの鍋も
どのフライパンも
全部焦げ付いていて、
使い物にならない状態に
なっていました。


焦げ付きを取ろうとして
こすった跡があるものも
いくつかありましたが、

フライパンなどは
焦げ付いた食材が
ついたまま
カピカピに乾いていました。


私は背中の後ろに
談笑する夫と夫の祖母の
笑い声をよそに、

胸をドキドキさせながら
必死で鍋とフライパンを
磨きました。


おばあちゃんは
何か一気に
状態が悪くなっている、

もうこれ以上
一人暮らしは
させられないと
私は痛感しました。


鍋を磨きながら、

もしかすると祖母は
火の扱いで
何度も失敗して、

鍋を焦がすだけでなく
お風呂のから炊きか何かも
してしまっていて、

それでボイラーが壊れたか
もしくは怖くて
お風呂を沸かす事が
出来ないのかもしれないと
ここでようやく
気づきました。


それとも、
ボイラーやガスコンロの使い方を
忘れてしまっているのかも?


まさかそんな事が?


でも、
そうだとして、
私はこれから
どうしたらいいんだろう?と
考え込みました。


夫にその夜も
①〜③の異変を話しましたが
私と祖母の会話も
聞いていたはずなのに
なかなか信じてもらえず、

おばあちゃんは変わりないよと
夫は主張して、
終いにはいい加減にしろと
怒られました。


私は絶望的な気分に
なりました。


元旦は誰も
祖母の家には
やって来ませんでした。


私は祖母の様子を
それとなく伺っていました。


うまく説明出来ないけれど
確かに、
何か水を向けても
祖母は話を合わせたり
調子を合わせるのが
絶妙に上手で、

普通に話していると
おかしい所なんて、
全然感じられないのでした。


2日になって
上の叔母夫婦が
やって来ましたが
色々用事があるらしく
いとこは一人しか来なくて、
祖母と1、2時間くらい
雑談すると
みんなすぐに
帰って行きました。


私は叔父叔母に
相談するきっかけが
掴めませんでした。


下の叔母夫婦は
とうとうやって来ませんでした。
みんなで婚家の方に
行っていたのだと
思います。


3日に官舎に戻ってすぐ
私は夫の母に
電話をかけました。


夫の両親は当時
東北に転勤していました。


祖母がいよいよおかしいと
様子を話して、
お母さん達の
気持ちはわかるけれど
お願いだからすぐに
祖母の家に行って、
一度様子を見て来てほしいと
懇願しました。


同時に、
もう私の手には
負えないと思う、

普段ご飯を
ちゃんと食べていないようだし、

私達もお風呂にずっと
入れなかったから、

きっとおばあちゃんも
何ヶ月もお風呂に
入っていないと思う、

早く何とかしないと、
火事とか何か大変な事故が
起こるかもしれないと
一生懸命夫の母に
訴えました。


夫の母は
父に相談して3月にでも
一度帰ってみる、

いつも○さんに任せきりで
申し訳なかったけれど
孫嫁のあなたが
苦労する事はないから、
もう心配しなくていいからねと
言ってくれました。


私は何年も祖母の家に
来てくれなかった母が
行ってみると
とうとう言ってくれた事に
すごくホッとしましたが、

3月では
とても間に合わないから
なるべく早く
行ってあげてほしいと
さらに頼みました。


当時20代の私には
夫の母に
こんなに強く言うのは
かなり勇気のいる事でしたが、
私は必死でした。


夫の父は実は前にも
私の話を聞いて、

東京へ泊りがけで行く際
何度か祖母の家に立ち寄って
一晩泊まって
様子を見てくれて
いたのですが、

その都度特に変わりなかったと
律儀に報告してくれるので、
私は何度も
落胆していました。


どうして一緒に寝泊まりして
みんなわからないの?と
すごくじれったく
思いました。


夫にさえ
信じてもらえないのだから
無理もないのですが、

ちょっと話したり
家に上がって
お茶を飲む程度では
わからないかも
しれないけれど、

台所の冷蔵庫を開けたり
水回りの様子を見れば
すぐにおかしいとわかる
レベルにまで、
祖母は急速に
悪くなっていたのに、

身内だと
まさかそんな筈はない、
ただの老化現象で
あってほしいという
フィルターがかかるのか、

私は何年も
誰にも信じてもらえなくて
孤立していました。