その日は土曜日で
次の日は日曜でした。


同じ県でも
お寺も火葬場も
かなり離れていました。


私は二人の幼子を抱えて
お通夜と葬儀をはしごするのに
ほんとにほんとに
疲れきっていました。


この時、私には珍しく
疲れているから行きたくないと
はっきり最初は言ったのに、

途端に夫が不機嫌になったので
私はこの時も
夫の気持ちを汲んで、
祖母の家に寄ってもいいよと
言ってしまいました。


そのかわり、
常にはない事ですが
泊まらずに少しだけ立ち寄って
様子を見るだけにしてと
夫にお願いしました。


祖母の家に着いてすぐ、
今日は泊まらず
スーパーにも行かないので
冷蔵庫にあるもので
せめて何か作り置きしようと、

私は夫に
「子供達を見ててね。」と
声をかけて、
台所で急いで料理作りを
始めました。


するとしばらくして
次男の泣き声が
聞こえたのですが、

茶の間の夫と祖母が
動く気配がなかったので
私は苛立ちながら
和室へと向かいました。


すると、
次男が顔を血まみれにして
うずくまって泣いていたので、
私は叫び声をあげて
次男に駆け寄りました。


長男は棒立ちになって
次男を見つめていました。


私の叫び声を聞いて
やっと夫と祖母が
やって来ました。


そして急いで救急車を呼んで
外科で処置してもらいました。


夫の祖母は読書と
花を育てるのが好きで、
庭にはいつも色とりどりの
花が咲き乱れていました。


日当たりの良い縁側にも
たくさんの植物を
並べていました。


そんな鉢植えのうちの一つに
ビニールの支柱ではなく
本物の篠竹の支柱が
差してあったらしく、
よちよち歩きの次男は
長男と一緒に茶の間を抜け出し
和室で遊んでいて
転んだ拍子に
竹の支柱に目を刺して
しまったのです。


顔なので出血が多く
拭いても拭いても後から後から
血が出てくるのです。


私と夫は救急車に乗り込み
私は泣き止まない次男を抱いて
「ごめんね。ごめんね。」と
自分もボロボロと
泣き続けながら、

「疲れているから行きたくないって
最初は言ったのに、
どうして寄るって
言っちゃったんだろう。」と
激しく後悔していました。



そして、
夫に向き直り
「見ててねって言ったのに
どうしてちゃんと見ていて
くれなかったの❗」と
一度だけ夫を大きな声で
なじりました。


夫は
「すまん…。俺のせいだ」と言って
謝りました。


病院では医師から
「綺麗には縫ったけれど、
刺したのが竹だから
傷口はまっすぐではなく
乱れています。

また、雑菌が入って
化膿する可能性が高いです。
そうなると、
傷跡は大きくなる
可能性があります。」と
言われてしまいました。


タクシーで祖母の家に帰り
事情を説明すると、
料理も作りかけ
何もかもそのままで
私達は悄然として
家に帰りました。


次男に抗生物質を飲ませて
神様やご先祖様に一生懸命
お祈りしたけれど、

私の必死の祈りは叶わず
お医者さんの言った通り
次男の瞼の上には
直径5ミリくらいの
丸い傷跡が
残ってしまいました。


二重瞼の筋の上に
出来た傷跡は
幸い普段は
瞼の重なりに隠れていて
下を見た拍子に
チラッと見える程度になり、

成人した今でこそ
薄茶色になってほとんど
目立たないのですが、

次男が子供の頃は
蚊に食われた跡のように
赤く丸く目立つので
よく人から
「あら、ここ
虫に刺されたの?」と
尋ねられました。


事情を話すと人からは
「眼球に刺さって
失明しなくて
良かったわねぇ。」と
慰められるけれど、

親の私達にとっては
毎日次男を見る度に
心の中で詫びない日は
ありませんでした。


あんなにしげしげと
祖母の家に毎週のように
通っていた夫は、
ふっつりと祖母の家に
行こうと言わなくなりました。


私もずっと陰では
泣き暮らす毎日でしたから、

もしも祖母の家に行ったら
ますます心の傷が疼いて
辛くなるだろうと思われ、

夫の祖母には本当に
申し訳ないけれど
とても行く気分には
なれませんでした。


そこから一年近くたって
やるせない気持ちも
だいぶ薄れた頃、
お正月になり
私達は大変しばらくぶりに
夫の祖母の家へと電車で
向かいました。


そこで、
私は夫の祖母から
信じられない言葉を
かけられたのでした。