檜原村に旅行した時
蛇の湯温泉たから荘のある
数馬という集落は
平家の落人がご先祖様だと
ご当主から聞かされたという話を
以前書きました。


檜原街道沿いに
車を走らせていると
数馬の集落の手前に
「人里」という地名の集落が
ありました。


「ひとざと」と読むのだと
思っていたら
信号機には
「Henbori」と書かれていて、

「人里って書いて
へんぼりって読むんだね❗」と
夫と二人で
話しておりました。びっくり


お宿に着いてから
インターネットで
由来について調べていたら
韓国朝鮮語では
「人里」と書いて
「ヘンボッリ」と読み、
「幸福に人が暮らせる里」という
意味だと分かりました。






東京都檜原村と
埼玉県の日高市は
今は別の県だけれども
地理的には近いです。


日高市は合併前は
高麗村と高麗郡です。


国を追われて日本に渡来し
全国に定住していた
高句麗の方々のうち、
関東地方の1799人を
霊亀2(716)年に
今の日高市に
移住させたという
歴史があります。


平家の方々が
山深い檜原村に逃げて来て
現代に命脈を繋ぐ事が
出来たように、

関東地方に定住していた
高句麗の方々のうち
日高市に移住する事を
選ばなかった人は
檜原村に逃げて来て、
人里の地にたどり着き
命脈を繋いだのではないかと
私は思いました。


私は秩父地方や
日高市や青梅市や
あきる野市など
このあたり一帯が
気持ちが良いから
とても好きで、
夫と良く
訪れます。


今住んでいる場所も
大好きだけれど
退職したら引っ越しても
いいと思うほど
大好きです。


高句麗から日本に
逃げて来られたほどの方は
一般の方ではなく
高貴な身分や
専門職の方々です。


そうした方々が
選ぶほどの場所は
たとえ何もなくても
どんなに山深くても、
当時から
とても気の良い場所
だったはずです。


高句麗の方も
平家の方も
檜原村で代々
穏やかに住み続けられて
本当に良かったと
思いました。おねがい


大好きな檜原村が
いつまでも
今のまま変わらずに
自然豊かで、
檜原村の方々が
皆平和で笑って
いつまでも
幸せに暮らせますように。