逆杉を存分に満喫した後
さあ、いざ
日光東照宮様へ行かん!と
奮い立つ私を尻目に、

夫はお母さんに
天皇の間記念公園も
どうしても見せたいと
言うのでした。


日光山内は本当に広くて
あちこち見る所があるので
日光東照宮様を
存分に巡り歩きたい私は
すぐにも日光へと
向かいたかったのに、

夫は
「僕が行きたい所にだって
行かせてくれても
いいじゃないか。」と
なぜか頑として
譲らなかったので、
塩原の御用邸にも
立ち寄る事になりました。



天皇の間記念公園については
前回訪れた時に
詳しく記事を書いたので
ご興味をお持ちの方は
そちらもご参照下さい。


上の歌碑は三笠宮様が
小学生の時、
日光田母沢御用邸にいらっしゃる
ご両親の
大正天皇貞明皇后両陛下を
恋しく思われて
塩原御用邸でお詠みになった
お歌です。
歌碑の字は
塩原の小学生書家が
揮毫したそうです。


三笠宮様はご幼少の砌
塩原御用邸で毎年夏を
過ごされたそうです。


大正天皇陛下は
塩原の地を大変お好みになられ
度々塩原を訪れて
気さくに地元の人々と
触れ合ったそうです。


天皇の間記念公園は
塩原の方々が
三島通庸子爵や皇族の皆様に
強い親愛の気持ちを抱き
かつ、
今も恩人として
敬愛している事が
しみじみと伝わってくる
とても気持ちの良い場所です。


塩原御用邸は
栃木県令三島通庸(みちつね)様の
ご嫡子で
貴族院議員および
第8代日本銀行総裁を務めた
三島弥太郎子爵が
ご自身の別荘を改築して
陛下に献上されたものです。


多くの皇族方が訪れた
塩原御用邸は
増築に増築を重ねて
大変に広大な
お屋敷だったのですが、
今では残念ながら
御座所部分だけが
移築されて
公開されています。




廊下の畳は
御用邸独特のもので
上つ方の踏む畳と
下つ方の踏む畳とで
ゾーンが別れています。

私達は今は普通に
中を歩き回って拝見したり
畳を両方とも
踏んだりしています。
誠に畏れ多くも
有り難い事ですね。



三島の御用邸同様
純和風建築ながら
電灯や椅子などの調度は
洋風です。



塩原御用邸は
戦後は昭和天皇香淳皇后両陛下の
思し召しで
盲学校として
下賜されたそうです。

御座所が良い状態で
残っているのは
御座所部分は
盲学校でも使う事を
憚ったからでしょうか。

こうして御座所だけでも
拝見する事が出来るのは
とても嬉しい事です。



今の建築とは違い
外壁も内壁も薄いです。

暖かい三島の御用邸では
それで問題ないけれど
雪の降る塩原では
皇族の皆様は冬は
来られなかっただろうと
思いました。

塩原は避暑には涼しく
誠に好都合な所
だったわけです。



御厠が畳敷きなのと
立って用を足す所と
座って用を足す所とが
一つの個室にあるという所に
驚きましたが、

御座所の御厠は
両陛下しか使用しないので
これで問題
なかったのでしょうね。


狭い方の御厠が
皇后陛下専用なのかどうかは
説明がないので
わかりませんでした。


便器の下に漆塗りの箱があり
外からそれを取り出して
体調を視るというのは
私ならとても
恥ずかしく感じるけれど、
きっと陛下は子供の頃から
その習慣に慣れていらっしゃり
そのような事は
感じないのでしょうね。



廊下の電灯の笠が
すべて菊の花を写した
繊細な透かし彫りの
ガラスなのです。
とても素敵で
どうやって作ったのだろうと
思いました。



3月ということで
この日はお雛様飾りが
展示されていました。


説明を読んでみました。


お雛様の持ち主の
昌子様は
那須野が原を開発し道路を引いた
塩原温泉の恩人である
三島通庸子爵の曽孫です。


弥太郎様ご嫡子で
貴族院議員や
日本ボーイスカウト初代総長を
歴任された
三島通陽(みちはる)子爵は
昌子様・謹子様・美禰子様と
三人のお嬢様に
恵まれました。


大正10年の昌子様の初節句に
京都の「丸平」で誂えた
お雛様は、
名工大木氏の
お作だそうです。


私の初節句に
祖母に誂えてもらった
七段飾りは
父の家を売る時に置いて来て
今はお殿様と奥方様だけ
上の妹が持っています。


私には娘はいないけれど
お雛様を見るのは
大好きなので、
嬉しかったです。



三島通庸様は
いかにも薩摩藩士らしい
面構えですよね。



三島弥太郎様も
まだまだ堂々たる
もののふの面構えですね。


三島通陽様になると
途端に細面の
甘いお育ちのいい
お顔になったのは、
お母様似なのでしょうか。


またご結婚の際の
奥様のお召し物が
お公家様風に
おすべらかしに十二単なのは
通陽様が
貴族院議員だからでしょうか。



お嬢様のよそいきには
お揃いのお洋服を
お召しなのも
私や妹達と全く同じで
とても楽しく興味深く
拝見しました。



私はお雛様よりも
お雛様道具の方が
子供の頃から
大好きでした。

というのは、
お雛様道具で妹達と
ひなあられや白酒を使って
いつもおままごとを
したからです。



このお雛様飾りには
大きめのお重や
四つ膳が揃っていて
文箱や将棋や囲碁の道具
箪笥や長持ち、
衣桁や角盥や鏡、
鏡箱まであり
多彩なおままごとが
出来そうです。


ああ、大人になっても
私は小さい女の子になって
おままごとをしたくて
たまりません…。目がハート飛び出すハート


茶道のお茶事というのは
良い大人が大真面目に
着物でコスプレをして
みんなで大きなおままごとを
楽しむようなもの
だったのかもしれない、

だからあんなにも
楽しかったのかもしれないと
ふと思いました。






以前、
どなたかの小説で
明治天皇ご崩御の際
柳原愛子様が
おそばに詰めて
夜も寝ずに看病して
涙を流しながら
玉体を頻りにさすっているのを
親王様が
垣間見られて、

まだ子供で側室というものを
わかっていなかったので
それまでは女官としか
考えていなかった者が
そのような事をしているのを
大変奇異に
お感じになったと
書かれていたのを
読みました。

あれは大正天皇の
事だったかもしれないと
急に思い出しました。

あ〜、
手当り次第に
何でもかんでも
色々読み散らしているので
小説の名前も
作家さんの名前も
思い出せません…。真顔タラー



塩原御用邸に
ベルツ博士が主治医として
訪れた時は
やはり御厠のものも
診察されたのでしょうね。
真顔

大正天皇陛下の
お誕生日の時には
貴族院の方々や
皇族の方々も
避暑にいらっしゃり、
塩原の方々と共に
さぞ賑やかに
お祝いした事でしょう。

楽しい有様が
目に浮かぶようです。


壮絶な維新をくぐり抜けた
明治天皇陛下や
その側近からは
大正天皇陛下は
惰弱のなんのと
評価される事が
多かったようですが、

ここで拝見する
大正天皇陛下のご様子は
知的でウィットに富み
隔てなく民と交わり
優しく朗らかで、
むしろすめらみこととして
一番大切な
仁愛の資質を備えた
お人柄のように
お見受けしました。


おそらく戦争に向かう世情で
政治や軍部が台頭する中、
大正天皇陛下の
その美点こそが疎まれて、
不当に貶められて
押し込められたのだろうと
私は確信しました。


後世の評価が
大正天皇陛下に
今も厳しい傾向にある事が
とても残念だと
思いました。


塩原での大正天皇陛下は
御身体も大変ご壮健で、
極めてのびのびと
楽しく過ごされていらっしゃるのが
よくわかり、
本当に良かったなぁと
私は陛下の為に
安堵いたしました。



下の車夫のエピソードからも
大正天皇陛下の
極めて慈愛に満ちたご様子が
まざまざと伝わります。


大正天皇陛下は
けして暗愚な方ではなく、
むしろ明君では
なかったのでしょうか。


歪められた評価が
流布されたのは
一体誰の為
だったのでしょうか。



塩原祭りは
大正天皇陛下の即位の御大礼を
塩原総出でお祝いしたのが
起こりなのですね。


大正天皇陛下と
栃木県令三島通庸様と
実業家で漢学者の奥蘭田様と
文豪尾崎紅葉様と、

人から受けたご恩を
どんなに時がたっても
忘れずに顕彰して
お祭りとして語り継いで
感謝し続けるという
塩原の心根こそ、
誠に素晴らしいです。



下にある小太郎ヶ淵は
この写真では全く
伝わりませんが、
とても気持ちの良い
塩原の名勝なのです。


今まですっかり
忘れていましたが
下の妹の前の夫や
上の妹家族とも一緒に
母と3家族とで
小太郎ヶ淵に遊びに
行った事があり、
ものすごく懐かしく
なりました。




白黒写真で
ちっとも伝わりませんが
本当に風光明媚な
良い所なのです。

実は今回行こうとしたら
冬季の通行止め期間で
行かれませんでした。


また初夏になったら
小太郎ヶ淵に
行きたいです。



本当に良いお歌ですね…。

三笠宮様が
まだ11歳の頃から
阿部仲麻呂の
「三笠の山に
いでし月かも」に通じる
感性をお持ちな事に
驚愕します。


私も三笠宮様に接して
おそば近くで
お話を伺いたかったです。



この一帯は
紅葉山御料地だったのですね。

お父様が薩摩藩士だった
香淳皇后陛下も婚姻前は
塩原の別荘に
度々おいでになり、

後の常陸宮妃殿下の
津軽華子様のお姉様方も
塩原の明賀屋さんに
疎開されていたのは
大変興味深いです。


明賀屋さんにも
泊まりに行きたいわ…。






これらの展示で
昭和天皇陛下や皇后陛下、
宮様方は
事前に様々な交流があり、
人となりを良く知った上で
ご婚約が整ったのだなぁと
よくわかりました。


お互いの親や
親戚縁者の皆が
よく見極めた上で
整った婚姻は、
末長く仲睦まじいものに
なりやすいのかも
しれませんね。



御座所自体は小さいけれど
手作りのパネルによって
塩原の方々と
皇族の皆様の温かい心根が
とてもよく伝わる
見応えのある展示で、

今回もなかなかの時間
滞在してしまいました。
爆笑アセアセ

日光東照宮様、
もうあんまり
回れないわ…。


下の写真は
盲学校を視察する
昭和天皇香淳皇后両陛下と、
戦時中の学童疎開の
子供達の写真です。





今回は
まだ他のお客様が
誰も来ていなかったせいか
雨戸が閉まっていて、
これはこれで珍しくて
楽しかったです。



昔は水を引いて
小川の流れを
作っていたと思われる
庭でした。




福寿草が
咲いていました。
黄色い花黄色い花黄色い花


写真には撮れなかったけれど
天皇の間記念公園の
受付にいらっしゃる
多分住み込みのご夫婦は
シジュウカラやヤマガラを
餌付けしていらっしゃり、
とても可愛かったです。

私達がいなければ
肩や手に乗って
餌を食べるそうでした。

受付のご夫婦も
本当にご親切な方々で、
心がほっこりしました。


日本のどこへ行っても
誰もが親切で
食べ物は美味しくて
自然は優しくて
どこへ行っても便利で
旅行すると心身が
本当に癒やされます。


旅行で私達が一番
大切にしているのは
その地の神社仏閣や
歴史をことほぎ
土地の自然をことほぎ
土地の人をことほぎ
土地の名産をことほぐと
いうことです。


私がここで言う
ことほぐというのは
ただ食べ散らし
遊び散らすのではなく
その土地で五感を駆使して
礼を尽くしながら
愛でて楽しみ、
過去の先人達や
現在の人達も褒め称えて
感謝するという事です。

愛のエネルギーしか
ゆきずりの私達には
皆様にお返しするものが
ありませんからね。


塩原で出会ったものや人
すべてに感謝いたします。
また伺います。
本当にありがとう
ございました。