母のログハウスを
片付けに行く前、

私と下の妹は

母を通じて

上の妹からの申し入れを

聞かされていました。


私の父は
母の実家のお寺に

永代供養の墓を建てて

眠っています。



祖父は生前

子供達が並んで入るようにと

墓所を決めていたのですが、

我が家は娘だけで

跡取りがいないという理由で

伯父からは我が家だけ

そこに建てる事は

許してもらえず、

そのようになりました。



小さな敷地に

細長いお墓が建っています。

それでもお骨は母の後も

何人かは入るくらいの

大きさです。



永代供養の場合

お寺に納めるお金は

全部先に払っているので

毎年お金を納める必要は

ないのですけれど、

私達三姉妹はなんとなく

お金を出し合って

連名で毎年一万円を

お寺に納めて来ました。

コロナまでは

お墓参りもみんなで

出かけていました。



その後上の妹は離婚して

旧姓に戻し、

再婚する時は相手に姓を

変えてもらった為

下の妹夫婦が

母を引き取ったものの

お墓は母と同じ姓の

上の妹夫婦が

継ぐという事になりました。



母は当時

たいそう喜んで

家紋入りの四ツ重やら

お屠蘇道具やらを

上の妹に譲ったりして

いたのですが、

上の妹夫婦はその後も

母とはあまり

しっくりいっていませんでした。



ブログにまだ書いていない

色んな事が

あったのです。



下の妹夫婦は特に

家が近いだけに

上の妹夫婦には

肚に据えかねるような事が

長年たくさん

積もっていました。



母を昨年引き取る時

妹同士は

とうとう決裂して

事務的な用件しか

連絡しないように

なっていました。



上の妹の申し入れは

「振り込んだり

会った時に渡したり

やり取りが面倒だから、

今後はお墓参りも

お寺へのお金も

それぞれが

個別にやりましょう」という

ものでした。



下の妹は

「これで冠婚葬祭も

縁が切れて

かえってせいせいして

良かったじゃない。」と

スッキリしていましたが、

私は何だか

さみしかったのです。



この事を

私達に告げる母も

三姉妹仲良く

してほしいでしょうから、

さみしかったでしょう。



だからログハウスの

片付け自体は

悲しかったけれど、

上の妹夫婦に

一年ぶりに会えるのは

とても楽しみでした。



母もおそらく

同じ思いだからこそ

私にみんなで食べる

お昼のお弁当について

わざわざ相談しに

連絡してきたのでしょう。



それなのに、

上の妹夫婦は

私達と話もろくにせず

もらうものだけ車に積んで

さっさと帰って

しまいました。



母がかわいそうでしたが

仕方ありませんでした。



私は悲しい思いや

やりきれない思いが

心に兆した時は

「縁が絶てる幸せがある」、

この言葉を支えにして

無事片付けを

終えました。

本当に有り難い

いい言葉です。



母は最後に

家の権利書と鍵を

ログハウスに

置いて行きました。

私達三姉妹も

めいめい持っていた

一度も使う機会のなかった

鍵を置いて行きました。



下の妹はログハウスに

前の夫が大切にしていた

先祖代々の文机と

前の夫の遺骨の一部を

置いて帰りました。



下の妹はそのかわり

前の夫のライブのビデオや

彼のレコードやギターを

持ち帰りました。



私はその後

自分の車の中に

祖母の袱紗袋と

祖父母の輪袈裟、

そして祖父の書いた

般若心経と不動明王真言を

思いがけず

発見しました。



下の妹から片付けの後

連絡が来ました。

今の夫と養女とは

養子縁組を

解消したそうです。

学費や家賃などは

二十歳までは

援助するそうです。



実の母親は

自分の前の夫の姓を

名乗っている為、

姓は今の夫の

姓のまま変えずに

一人だけの独立した戸籍を

作成したそうです。

10年以上養子だった場合は

姓を変えなくても

いいそうです。



下の妹は

「多分○ちゃん(元養女)とは

次に会うのは

●ちゃん(今の夫)の

お葬式くらいじゃないかな。」と

話していました。



上の妹夫婦の希望で

父の三十三回忌を

延期していたのですが

もし上の妹夫婦が

出席しなくても、

来年執り行おうとも

下の妹と電話で決めました。



縁が離れるものは

いつしか綺麗に離れ、

繋ぐものは新たに

自然に繋がれていくのです。



怒涛の10月は

まだ続くのでした。