お昼を食べた私達は
物置の片付けを

再開しました。



長男はたった一人の

男手として

ものすごく

役に立ってくれました。

長男は物置の中のものを

次々ログハウスに

運びはじめました。



私達が物置と

呼んでいる建物は、

実はちゃんと

玄関アプローチまである

小さな可愛い

ログハウスなのです。



ワンルームマンションの

一部屋くらいの

広さがあります。

ホビールームとして

販売していたものです。



元舅の誘いで

下の妹の婚家に

引き取られる時、

母は幸せに

大きな夢を

膨らませていたのでしょう。



老後の一人住まいには

過ぎた出費だと

私達が

諫めるのも聞かず、

マンション2部屋を売って

祖父母からの遺産も使って

母は奮発して2棟もの

ログハウスを

購入したのです。



大きな大きなログハウスと

小さな小さなログハウスとが

田園風景の中に

並んで建っているのは

まるで絵本に出てくるような

のどかで可愛らしい

眺めでした。



帰省する時

高速を降りて車の窓を開け

森の緑の匂い、

田んぼの稲わらの匂いを

胸いっぱいに

吸い込みながら

妹達が住む

大きな日本家屋と

母のログハウスとが

見えてくると、

みんないつも

ワクワクしたものです。



物置は最初は

物置ではなく

壁につくりつけの本棚を

ぐるりと設置して

私達が子供の頃の

本や漫画や

レコードやおもちゃを

置いていました。

真ん中のラグには

おままごとみたいな

小さなテーブルと椅子も

置かれていました。



お菓子やお茶を持ち込んで

私の子供達や

妹の子供達が

そこでキャッキャと遊ぶ

秘密基地のような

おうちだったのです。



20年たって

段々と母の荷物置きになり

今はまさに物置のように

なっていました。

私と下の妹には

何が入っているのか

全くわからないほど

色んなガラクタが

ぎゅうぎゅうに

詰まっていました。



上の妹夫婦は

この隙間に入りこんで

自分の漫画だけを

掘り出したのか…と

私は思いました。



欲しい食器を物色したら

片付けもせずに

二人はさっさと

帰ってしまったのです。



引っ越す時に手放した

母の車の

替えのタイヤや、


引っ越す時に

団員長を辞めた母の

ガールスカウトの

キャンプ用具や、


母が看取った祖母が

生前趣味で作っていた

押し絵の巨大な額縁が

たくさん出て来ました。



これらはもう

捨てる事にしました。



祖母の押し絵は既に

たくさん譲り受けて

いるのです。



大物をどんどん

掘り出していくと

私達の

子供の頃のアルバムと

生前の祖父母のアルバムと

父母の結婚前のアルバムが

出てきました。



私達が置いていったものは

妹の元姑と元義弟が

全部庭で燃したり

粗大ごみセンターに

持って行って

処分してくれると

話がついていました。



私達の写真が

野ざらしで汚れたり

燃え残って

風に散らばったりしたら

悲しいので、

アルバムは全部

持って行く事にしました。



残った漫画と本は

私と下の妹で

分けました。



妹の今の夫の養女は

お彼岸に妹の家を出て

今は実の母親と一緒に

暮らしています。



妹が再婚して同居する時

養女が異常な買い物好きで

押しのアイドルグループの

グッズや服が

段ボール38箱あった為

新居に入りきらず、

妹の会社と

母の部屋があるアパートに

一部屋借りて

それをしまったそうです。



もっとも、

後で妹が今の夫に

よくよく聞くと、

前の妻(養女の母)が

色々置きっぱなしで

家を出て行ったので

前の妻の荷物も

多少はその段ボールに

含まれていたそうです。



借りた部屋には

台所やトイレも

もちろんあるので

座卓や座布団を置いて

普段は妹が雇った

親友達が

お昼休みに寛ぐ部屋に

なっているそうです。



キャンディキャンディとか

懐かしい漫画と本は

ほとんど下の妹が

引き取ってくれました。

養女が家を出る時に

段ボール箱が全部

なくなったので、

今後は漫画部屋にして

寛ぐそうです。



レコードは

私のものが少しで

後はほとんど

妹の前の夫のものでした。



妹の前の夫は

趣味とはいえ

自主制作のCDが

東京のファッションショーで

まるまるBGMで

使用された事もあるほど

かなり本格的なバンド活動を

していました。



彼は習っていないのに

楽器は何でも弾けるし

作詞作曲もするし

ハンサムだしボーカルだし

すごい才能だな〜と

私はいつも

思っていました。



妹が彼と交際していた

若い頃、

彼はバイトで

クラブのDJをしていたので

売ったら高い値がつきそうな

いいレコードをたくさん

持っていました。



彼のレコードプレイヤーは

友人に形見として

あげてしまったと

言うことでしたが、

私のレコードも含めて

彼の大量のレコードも

下の妹が引き取る事に

なりました。



妹は「懐かしい…。」と

つぶやきながら

レコードを長い間眺めて

思い出にふけって

いるようでした。



彼のライブのビデオも

ぞろぞろ出て来ました。

下の妹はビデオがあるのを

忘れていたようで、

驚き、

喜んでいました。

ビデオプレイヤーも

今はないけれど

それも下の妹が

引き取る事に

なりました。



ログハウスの前には

私達が夏に

釣りをしたり

川遊びをした

綺麗な川が

流れています。

敷地内にも

田んぼの水路として

小川が流れていました。



川の水を引き入れた

庭の池には

小魚や鯉がいて

カワセミがやってきました。



庭をトンボやオニヤンマが

スイスイ飛び回るので

セミ取りやトンボ取りで

うちの息子達も

妹の子供達も

真っ黒になって

走り回っていました。



山ではタケノコやウドや

ウルイやワラビなどの

山菜が取れました。

果樹がたくさんあって

桃、栗、柿、すもも、梨、りんご、

ブルーベリーは庭で

もいで摘んで

みんなで食べました。



畑の野菜と

彼が作ったお米があるから

妹と母が買うものは

魚と肉くらいでした。



ログハウスのアプローチで

夏はハンモックで昼寝したり

花火をしたりプールを出したり

バーベキューをしました。



朝暗いうちに

彼が軽トラを出してくれて

息子達をカブトムシ取りに

連れて行ってくれました。



冬はマシュマロを

バーベキュー用の串に刺して

暖炉であぶって、

クラッカーとチョコとはさんで

サモアにして食べました。



巨大なクリスマスツリーを

毎年みんなで飾って

クリスマスパーティーをしました。



彼の実家の山と庭と川、

ログハウスは

私達と子供達の

ふるさとでした。



夏は涼しくて

冬はあったかい

快適なログハウス。

自然いっぱいの町。



みんなみんな、

さようなら。