今から書く内容は
私達がお彼岸に
たまたま栃木に来た
理由かもしれないと
私が感じた事の、
2つ目です。
チェックアウトぎりぎりまで
渓雲閣の露天風呂を
存分に楽しんだ私達は、
もみじ谷大吊橋へと
行ってみました。
回顧の滝という所へ
行ってみたかったのですが
そこへ行く為の吊橋が
しばらく工事中で
行かれないと聞き、
一番大きな吊橋へと
行ってみたのです。
箒川を堰き止めて作った
ダム湖にかかっている
吊橋です。
とても長かったです。

ダムの横にある公園を
そぞろ歩いていたら、
夫が急に
中学2年生で亡くなった
夫の叔父
(夫の父親の弟)のことを
話し始めたのです。
今年の春に栃木の
湯西川温泉と
奥川俣温泉に
旅行した際、
ダム湖をいくつも越えて
私が車を走らせていたら
夫がふいに
「○叔父さんは、
ダムで亡くなったんだ。」と
告白した事が
あったのです。
夫の叔父の通信簿を
私はお嫁に来てから
見せてもらった事があります。
すべての科目が「甲」、
つまりオール5でした。
先生の評価には
「誠に中学生の鑑である。」と
書かれていました。
成績優秀、
スポーツ万能なだけでなく
遺影はものすごく
ハンサムでした。
中学2年生の臨海学校で
栃木のダム湖に行って
担任の先生が
その場を離れる時に
級長の叔父に
「○○、頼むぞ。」と
声をかけたそうです。
大人が誰もいない時に
級友が溺れてしまったのを
叔父は助けようとして、
溺れてしまいました。
級友は助けられたけれど
叔父は助かりませんでした。
実は次男は
夫の父にも似ていますが
その叔父にとてもよく
似ているのです。
私は長男や次男が
臨海学校に行く時は
怖くてたまらず、
級友がもし溺れても
けして自分で
助けようとしてはならないと
言い聞かせたものです。
栃木のどのダム湖で
叔父が亡くなったのかは
詳しい話は身内の中では
禁句だったので、
夫も知らないのだと
春の旅行の時に
話してくれました。
「○叔父さんは、
本当は○って名前じゃ
なかったんだ。」と
夫がダムの横の公園で
突然言ったのです。
「えっ、
どういう事?」と
私は聞きました。
夫の話はこうでした。
叔父は本当は
「ただし」という
名前だったそうです。
するとある時
知り合いから
「ただしという名前は
ただ○んでしまうから
良くない名前だ」と
言われたそうなのです。
その事をものすごく
気に病んだ
夫の祖父母は、
漢字の読み方を変えて
(戸籍にはふりがなは
ありませんから)
○という名前に変え、
誰からもただしとは
叔父を呼ばせないように
したのだそうです。
「それなのに、
○叔父さんが本当に
○んでしまったから、
おじいちゃんとおばあちゃんは
ただしという
名前をつけたのを、
ずっと悔やんでいたと思う。」と
夫は静かに
言ったのです。
「その人、
ひどい人だね…。
ただしなんて名前の人、
世の中にたくさん
いるじゃないの!?
人が一生懸命
子供の為に考えて
せっかくつけた名前なのに、
どうしてそんなひどい事が
考えなしに言えるの!?
おじいちゃんとおばあちゃんが
かわいそうじゃない!」と
私は言いました。
どうして海に行かずに
とても深くて
登るような岸辺が
全然ないダムで、
臨海学校なんて
したのでしょう。
担任の先生は
どうしてその場を
離れたのでしょう。
責任感の強い男の子が
友達を助けようとして
とっさに飛び込んでしまうとは
思わなかったのでしょうか。
そして、
どうして知り合いは
人の子供の事で
そんな心無い軽口を
叩いたのでしょう。
遺された祖父母や
夫の家族の気持ちを思うと
私は悲しくて悔しくて
なりませんでした。
ダムの湖面を見ながら
私達は黙って
しばらくの間
立ち尽くしていました。
お彼岸だから、叔父は
私達のそばに来て
くれたのでしょうか。
夫は
「おやじが悲しむから
絶対に聞くなよ」と
言うのですが、
私は帰省したら
どこのダムなのかを
夫の父に聞いて、
そしていつか
そこを訪れて
祈りたいです。
私は箒川のダムのほとりで
叔父の為に
祈りました。
この為に
ここに来たのかもしれないと
思いました。
旅行の話は
まだ続きます。