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新湯温泉の事が書かれた
ブログを見つけたので、
リンクを貼りました。
ぜひ、
上のブログをお読みになってから
下を読んで下さいね。


この記事には
私が塩原温泉に来た
大きな意味を持つ
もう一つの理由とは
違う内容を書きます。


私と夫は
コーヒーを飲みながら
渓雲閣のロビーで
塩原温泉の歴史の本を
読んでいて、

如活禅師とおっしゃる
定住するお寺を持たずに
北は東北、
南は長崎まで行脚して
人々に医療を施し、
全国に弟子がいる
臨済宗のお坊さんで、
元は医師だった方の
供養塔が、
なんと渓雲閣の前に
ある事を知りました。


会津では
会津の良寛様とも言われ
お墓もあって供養祭もある
とても有名な方のようです。
塩原では
円谷寺に住まい、
地域の方々に医療を施し
教えを広めていたそうです。

実は寺の湯に行く途中、
案内板を見つけて
どなただろう❔と二人で
話していたので、
夫と早速
お参りに行きました。


渓雲閣は
元の名前を君島屋と言って、
今の当主のお名前も
君島さんと
おっしゃるのです。


歴史の本によると
君島三左衛門さんと
君島善兵衛さんが
如活禅師の弟子として
それぞれ的斎、徳眼と名乗り
禅師を支援して
いたそうです。


最後まで元湯温泉の
復興を模索したけれど
悲願は虚しく潰え、
復興を期して新湯に移った
9軒の旅館のうち、
君島姓を名乗っているのは
君島屋しかいません。

立地条件から言って
渓雲閣=君島屋のご先祖様が
新湯君島徳眼であり、
円谷寺を支援したと
考えるのが妥当だと
私は思いました。





渓雲閣の目の前に
立て札があります。
夫と登りました。



登りきって振り返り、
渓雲閣を見た所です。




供養塔です。
お坊さんのお墓は
こういう円形や楕円形のものが
多いですね。
ちなみに、
私の祖父や曽祖父のお墓は
真言宗なのですが
まん丸です。


夫と二人で
感謝と供養の祈りを
如活禅師に捧げました。


それにしても、
南会津で今も崇められている
如活禅師が住まわれた
円谷寺と新湯村を、
戊辰戦争で
会津軍が焼き払うなんて
皮肉な事ですね。
新湯村の方々は
どれほどの苦しみを
味わったのでしょうか。


渓雲閣のご先祖様はじめ
どんな市井にも、
名は知られなくても
地域に尽くしたり
立派に振る舞った方は
たくさんいらっしゃるのですね。
私も日々
周りに喜びを与えられるように
努めようと
如活禅師の供養塔の前で
心を新たにしました。


旅って本当にいいですね。
色々な事を見聞きして
心身が洗われて
まるで産まれ変わるような
心地がします。


続きます。