母が次の日
下の妹の元義父に
電話した時、
真っ先に
「すぐに○子が
インターネットで調べたら、
登記はちゃんとされてました。」と
言ったそうです。


元義父はしれっと
「そうですか。
ではこちらでも
調べてみます。

書類は後で送りますから、
書いて送り返して下さい。」と
言ったそうです。


「あの家の中、
また全部片付けて
空っぽにしないと
いけないのね…。」と
母が私に
言いました。


「何で❔

あの家を放棄するって事は、
もう私達が
何かする必要は
ないって事だよね❔

私達の欲しいものだけ
持って行ったら、
後はあっちが負担して
好きに処分してもらえば
いいじゃない❔

パパの家を売った時も、
そうだったでしょ。

明け渡すのに
期限なんかないんだから、
中身を調べて
欲しいものを持ち出すまでは
何か書類が来ても、
ママは絶対返送しないでね。」と
私は言いました。


「そうか❗️」と
母も納得していました。


あぁ、
私の母は
なんでこんなにも
自分がなくて、
いつも人の言うことに
すぐ翻弄されるんだろう…。


私は
腑甲斐無い母の事が
悲しくなりました。


私の母は若い頃は
綺麗で魅力的で
色んな美点はあったものの、
思い返せば
母親としての資質には
少々欠けていたと
言わざるを得ませんでした。


自分が大人になってから
よく考えてみると、
残念ながら
私の父もそうでした。


彼らなりには精一杯
頑張ったのかもしれませんが。
きっと彼らなりには
ベストを尽くしたのです。


今NHKで
「おちょやん」という朝ドラを
やっていまして、
親としての自覚が足りない親に
翻弄される子供として、
主人公が出て来ます。


親が精神的に幼い場合、
その子供は色んな人生経験を
積む羽目になり
少し(かなり)早く
大人にならざるを得ません。


おちょやんで先日
主人公が父親に
「あんたが私を捨てるんやない。
私があんたを捨てるんや。」という
セリフがありました。


私は高校三年生の時に
親に対して
まったく同じ事を考えて、
家から通えない
遠い関西の大学に行きました。


私の子供時代の事では
まだブログには
書けていないことが、
実はたくさんあります。
えぐ過ぎて、
自分の親の事が恥ずかしくて
まだ書けません。


私は子供として
父と母が本当に
本当に大好きだったけれど、
子供の中では
私だけが色んな片棒を
担がされていたので
父と母の先々の破綻に
私だけが気づいていました。


他の大人も
みんな気づいていたけれど、
今も人の家庭には
なかなかコミット出来ません。
昔はもっと
出来なかったと思います。


私は孤立無援でした。


私も私なりには
ぎりぎり頑張って、
自分を守る為に結局
色々見殺しにしたので、
親の事は言えないのです。


もう私一人では
どうにもフォローが
しきれない段階になったので
大学進学を渡りに船と
私は何も気づいていない
中学生と高校生の
二人の妹を置いて、
逃げ出したのです。


まさか結末が
あんな事になるとは、
思いもしませんでした。
母も周りの人も
多分父本人だって、
思っていなかったでしょう。


大学に入学してから、
キリスト教学の授業で
イエスキリストが
十字架に張り付けになる時、
見物人がキリストを
さんざん罵るのですが
彼らに対して
「父よ、
彼らをお許し下さい。
彼らは自分が何をしているのか、
わかっていないのです。」と
イエスキリストは言ったと
教わりました。


聖書は本当に
すごい読み物です。


私達はお互いに
自分の事で精一杯で
父も母も
自分が何をしているのか
わかっていなかったし、
私も自分の選択する事が
後でどういう事になるのか
わかっていませんでした。


そうして色んな人やものを
見なかったことにして
やり過ごして
ここまで生きてきたから、

父だけでなく
大切な、
大切な義理の弟まで
亡くしてしまったのかしら。


違うとは、思うけれど。
思いたいけれど。



これは本当に
ささやかな
私の心の中だけの
願いなのですが、

私達が手放した
ログハウスを
もしも誰かが
借りてくれるなら、

福島から避難してきて
今は義理の弟の
会社と工場を借りて
新しい知らない土地で
一生懸命頑張っている人が、
どうか借りてくれたらと
思うのです。


私達はあのログハウスで
本当に幸せで
ずっと笑っていたから、

私達がいなくなっても
どうかあの会社で
ずっと仕事して、
あのソファーに座って
お客さんと笑い合って
あのログハウスに住んで、

そして夜は
天窓から月を眺めて
「アルプスの少女ハイジみたい。」
と呟いて、
大切な家族と
いつまでも幸せに
ぬくぬくと
眠ってほしいのです。