朝日酒造を出て、
私と夫は
五頭温泉郷の出湯温泉にある
日本秘湯を守る会の宿、
清廣館に宿泊しました。
建物は登録有形文化財です。


前回五頭温泉郷に行った時は
満室で泊まれなかったのです。
やっと泊まる事が出来て、
嬉しかったです。




5,798とは、
瓢湖に来ている
白鳥の数だそうです。
どうやって、誰が
数えたのでしょう…。


早朝瓢湖に行くための
バスが出るとの事でしたが、
瓢湖へは車で10分なので
私達は自分の車で
見に行こうと話しました。




ロビーです。
すごい❗️と思うような
長~い長~い
一枚板のベンチが
置かれていました。




あちこちに花が
飾られているお宿が
私は大好きです。
清廣館も、
ホトトギスや菊など
たくさん飾られていました。
白の八重の秋明菊は
珍しいですね。




フロントです。




食堂に、木の化石が
飾られていました。




6世紀のくるみの木です。
新潟では
河原に木の化石が
落ちてるんですね~❗️


触ってみると炭のようで、
私ならもし見つけても
きっと見落としてしまうと
思いました。
写真を撮っていませんが、
入り口にもそれは大きな
木の化石がありました。




「まつのこえ
みづのひびきも
みほとけの
のりのみこゑと
きくがたふとさ」。
本当によい歌ですね…。照れ


この拓本の歌は
糸魚川出身で
良寛の研究に晩年を捧げた
相馬御風という方が
詠んだ歌のようです。


相馬御風様は
「都の西北」や「春よ来い」などの
作詞だけでなく、
研究や評論などで
明治~昭和までの長い間、
活躍された方だそうです。


また、
奴奈川姫(ぬながわひめ)伝説から
古代の糸魚川は
祭祀に使用する
翡翠の産出地として、
大変重要な土地であったという
研究発表を行い、
それを元に調査した所
昭和10年に、本当に
糸魚川で翡翠が
発見されたとの事です❗️びっくり
すごいです❗️


明治100年を記念して、
華報寺の境内に
篤志ある方が
石碑を建てたそうです。
詳しくは下の写真を
ご覧下さい。


お宿の主に伺うと、
華報寺は清廣館の隣に
あるというので、
明日行ってみよう❗️と
話しました。


大同4年に弘法大師様が
出湯で修行された時、
錫杖で突いた所に
温泉が湧いたそうです。
新潟最古の温泉だそうです。
今も華報寺の境内では
その温泉に入れるそうです。


古くはお風呂というのは
衆生への施しとして
お寺が行ったものなので、
いにしえの風習が
まだ残っているのだ…と
本当に感心しました。


五頭温泉郷はラジウム泉で
無味無臭ですが、
華報寺の温泉は不思議な事に
泉質が全然
違うそうなのです。
すごく楽しみだね❗️と
二人で話しました。







私達のお部屋からの
眺めです。




向こうに見えるのが
華報寺の
弘法大師の温泉です。
わくわく…。🎵おねがい



素晴らしい
指し物です…。
これは空いている
別のお部屋です。
登録有形文化財ですから、
お部屋が傷まないように
順繰りに大切に使用しているのだと
思います。




風情がありますね…。
お部屋は全部つくりが違っていて、
床の間の材質も
違うようです。


温泉でお会いした方のお部屋は
曲がりくねった躑躅だと
おっしゃいました。
躑躅は成長が遅いのに、
すごいですね。


その方も東京からいらしていて、
六義園のお茶室も
床柱が躑躅だったと
おっしゃっていました。
明日は三条の嵐渓荘に
泊まるのだと
おっしゃっていたので、
私達ももう一泊
どこかに泊まろうかと
話しました。
(いつも私達は行き当たりばったり
ノープランの旅なので、
清廣館も当日に
お宿に電話して
急遽泊まりました。)




私達のお部屋は
床柱はカエデ、
落掛はイチイ、
床板は欅でした。







清廣館は
色んなお部屋に
泊まる楽しみがありますね。


日本の水を大切にするために、
掛け流しといえども
お湯は少しずつしか
出さないようにしているとの
事でした。
温泉には石鹸シャンプーが
置いてありました。


ドバドバ流さないと
硫黄で管が詰まる所もあるので
一概には言えないけれど、
志のある、良いお宿だと
感銘を受けました。


夫が夕食の写真を撮ったので
食事の写真がありませんが、
上手に焼いた岩魚や
主が山で取った
きのこや山菜づくしの
体に優しい食事でした。


翌朝の瓢湖の白鳥のことは、
夜書けたら書きます❗️